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ウォーキング随筆紀行高野山町石道「春分の頃・町石道に春の息吹を感じながら」

啓蟄の頃 町石道は日ごとに春めいて

春分の頃 町石道に春の息吹を感じながら

春分(三月二十二日頃)

太陽の中心が春分点の上に来た時の称。春の彼岸の中日で、昼夜の長さがほぼ等しい。暖かくなってくるとはいえ、花冷えや寒の戻りがある時期。
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今日三月二十日は春分の日。朝早く目覚めた勢いを借りて家を飛び出しました。

柿の木も小さな芽を出し、その根元には、オオイヌノフグリが空の青さを小さく散りばめたように咲いて、つつましく春を呼んでいました。

風は冷たくとも、やはり「春」という言葉を耳にするだけでも気分が軽くなってきます。

百六十八町石手前の柿畑の中に、落ち葉の中からフキノトウが可愛く顔を出しているのを見つけ、今日の撮り始めとなりました。

また、大きくカーブした地点にウメ(梅)の木があり、清楚な花を付けていました。

春を運ぶ花としてはフキノトウや梅は絶好の被写体です。それで、町石に梅の花を絡ませて写真に収めようとしたのですが、足場が悪くてなかなか思うようにいきません。なんとか無理をしながら撮り終えたときには三十分ちかくを費やしていました。いつものことですが、つらくも楽しいひとときです。

今日もこの先、何が私を待ち受けてくれているのでしょうか。

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百六十六町石を少し行って右に折れると九度山展望台があります。

ここから見る紀の川の眺めと下から吹き上げてくる川風は立ち寄る人たちに心地よい安らぎを与えてくれます。

右手の遙か向こうに高野山の頂が見えており、これからあそこまで歩いていくのかと思うと少し自分が誇らしく思えます。

左手には和泉山脈の連なりが続いており、その中を蛇行した紀の川がゆったりと流れています。ここで下着を取り替え、水分を補給して、気分も新たに再出発です。

町石道には、ここを含めて三つの展望台があり、道行く人はそれぞれの「あずまや」から見える景色を楽しみながら一息入れることになります。簡単に残り二つの展望台を紹介します。

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この次の展望台は、二ツ鳥居手前にある天野展望台で、ここからは天野の里を眼下に見渡せます。近くに百二十町石がありますから、下から数えてちょうど三分の一の地点に当たります。

町石道にあって威容を誇る二ツ鳥居には誰もが驚かされます。何せ、高さ六メートル、重さ四・五トンもある花崗岩の大鳥居が町石道に忽然と現れるのですから。しかも、二つも並んで建っているのです。

記録によると、この鳥居には、一つは「丹生大神」、もう片方には「高野大神」の額が掲げられていたそうです。ここから天野の里へ下りる道が通じています。

そして、三つ目は高野山展望台です。町石道と高野山道路が交わるところに四十町石がありますが、そこを上ったところにあります。ここからの眺めも素晴らしく、竜門山や飯盛山が望めます。

これらの展望台は、休憩の場所でもあり、交流の場所ともなります。

「どこからお越しですか。」が挨拶代わりとなり、お互いの情報交換が始まります。お昼を食べたり、おやつを取りながら話が弾み、その後、おのおのが少しずつ時間をずらしながら、再び町石道に戻って行くのです。

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春の到来を伝えるものの代表としては、まず、木々の新芽が頭に浮かびます。

木の幹から突き出るように姿を表す新芽には、生命の息吹を感じますし、枝々の先から生まれたての新芽が一斉に吹き出てくる様は新生の喜びに満ちています。新春の柔らかい日差しを受けて、浅黄色の新芽がチョウのごとく舞っているように見えるときがあります。

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百四十九町石を越え、少し広くなったところに、江戸時代から祀られているという石仏があります。その近くで、大きい緑色の葉の上に紅く小さなリボンを付けたような新芽が、高低差を付けて宙に漂っていました。その向こうにはポツンと百四十八町石が見えており、楽しい写真が撮れました。

まだまだこの時期、町石道には春から取り残されたようなところがたくさんあります。それだけに、これら春の先駆けに、季節からの招待状を貰えたような喜びがあります。

うっすらと額に汗しながら町石道を登るとき、可憐な花や草に出会うことで疲れが遠のきます。そして、その嬉しさを一枚の写真に閉じこめようと楽しいもがきが始まるのです。

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偶然のめぐり合わせに驚くこともしばしばです。

チョウが春の訪れを喜ぶかのようにひらひら飛んでいるのを見つけました。しばらくそれを目で追っていたのですが、突然その姿を見失ってしまいました。たしかに道の上に止まったように見えたのですが・・・・・。その付近までそっと近づいてみました。 そして羽根を小さく広げて止まっているのを見つけました。更に近づいていくと、その羽根をぴたっと閉じたのです。途端に姿が消えてしまいました。目を凝らしてよく見ると、何と、まるで枯れ葉そっくりの姿で止まっており、間近に近づいても動こうとしないのです。カメラを十センチくらいの距離まで持っていっても逃げる気配がありません。見つかるまいと懸命に息を潜めているようです。私も同じように息を殺して写真を撮りました。

やっと撮り終えた後、気持ちまで枯れ葉と一体になってしまったチョウの姿に思わず声を出して笑ってしまいました。その声に驚いたかのようにどこかへ飛び去っていきました。楽しい出来事に気分も解れました。

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日当たりの良いところにはスミレが咲いています。そこ、ここで枯れ葉を下地にして、緑の葉と薄紫の花が小さい春を演出してくれていました。

スミレをアップで撮るのは容易いのですが、スミレの背丈が小さいだけに二メートル近い町石の高さに重ねにくくて苦労します。

しかし。春を伝える花だけに、どうしても撮らなくては、という使命感が湧いてきます。地面に這いつくばり、道に顔をすりつけながらの撮影となります。まさに、泥にまみれながら撮るだけに、その出来上がり具合が気になります。まだまだ、満足のいくものが撮れていませんが何時かはモノにしてやろうと、もくろんでいます。

矢立の高野山道路が見えてくると、また別の嬉しさが膨らんできます。ここの茶店で売っている名物の焼き餅がおいしく、甘党の私には、町石道を歩く楽しさの一つにもなっているからです。

早くたどり着いて食べたい気持ちが足を急がせました。と、その時おもしろいものを見つけ、急ブレーキがかかりました。

道を補強したコンクリート壁の割れ目にスミレの一群れが咲いていたのです。まるでガーデニングの釣りかごのようでした。わずかな隙間に根を張る姿に驚かされました。そしてこの時はじめて、可憐なばかりのスミレのイメージに力強さのイメージが加わりました。野に咲く花は可愛さの中に力強さも兼ね備えているのですね。

思わぬ光景に満たされて、この時食べた焼き餅が一段とおいしく感じられました。

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焼き餅を食べて、腹も気持ちも落ち着いたところで歩きが再開されます。五分もしない間に五十九町石の下に来ました。ここには以前から私がねらっていた被写体があります。五十九町石の足元には六地蔵が並んでおり、その上にはヤブツバキ(藪椿)の木が覆い被さっているのです。

そのどちらも、今頃になると紅いもので飾られます。お地蔵さんにはお揃いの紅いよだれかけ、ツバキの木にはたくさんの紅い花。いちばんこの石が華やぐ時です。

思った通り、装いを整えて私を待ってくれていました。期待に背むかないよう気持ちを込めてシャッターを切りました。

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実は、ここまで書くのをひかえていたのですが、この季節、町石道のあちらこちらにヤブツバキが咲いています。二ツ鳥居の手前にある休憩所の近くにもたくさん咲いていました。特に山道に咲く椿は趣が深く、一種の気品があります。まだまだ冬の気配が残るこの時期に花開く椿の木には、日本人として感じ取れる何かがあるようです。

木ヘンに春と書き、ツバキと読ませ、この花を愛した先人の感覚が多くの文学や工芸品を産んできました。そのひなびた風情が茶道や華道に結びつき、美術や工芸品の題材となってきたのです。

「朝夕の土うるほひて落椿」のごとく、ヤブツバキの花が降り敷いた道には独特の情緒があります。咲く時期といい、花から受ける印象といい、どこか優雅なものを感じます、

また、新鮮な落ちたての花には、踏んではならないという気分にさせられます。幾つも落ちている道の脇を通り過ぎ、上を見上げると陽の光に透けた花びらがとても印象的でした。

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二十町石付近から見る山並みも春めいて何となく霞みがかっており、遠く山の重なりが微妙な色の違いを感じさせながら穏やかに広がっています。こんな景色をバックにしてキブシ(木五倍子)の花が幾つも枝に垂れ下がっていました。

スミレの花に足元からの小さな春を感じていたのですが、キブシの花からは山全体の春を感じとりました。

「仄かなる闇得てそよぐ花きぶし」 このようにキブシには、垂れた花序に咲く黄色い花のイメージがどこか季節の景色のなかで雅趣を感じさせるのです。

キブシは黒い染料の元となり、その昔、女性のお歯黒用の染料として用いられたことを知る人も多いのではないでしょうか。

町石道。距離にして二十四キロのそこかしこに春の息吹が感じ取れ、とても楽しい一日となりました。

四季の高野山町石道の動画を見る

笹田義美氏

笹田義美先生のプロフィール

  • 和歌山県に生まれる。
  • 和歌山大学教育学部卒業後、和歌山県立箕島高校、伊都高校、橋本高校の教諭に就く。
  • 和歌山県教育委員会学校教育課の指導主事に着任。
  • 和歌山県立橋本高校、紀北工業高校の教頭職に就く。
  • 「紀の川散歩道」を発刊
  • 和歌山県教育研修センター副所長に就く。
  • 伊都地方教育事務所長に就く。
  • 「四季の高野山町石道」を発刊。
  • 和歌山県立紀の川高校の校長に就く。
  • 和歌山県立紀の川高校の校長退職。
  • 現在に至る。

販売のご案内

世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
著者
笹田 義美
定価
2,800円(税込)
お問い合わせ
TEL. 073-435-5651