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ウォーキング随筆紀行高野山町石道「穀雨の頃・シャガの花咲く町石道」

穀雨の頃 シャガの花咲く町石道

穀雨の頃 シャガの花咲く町石道

穀雨(四月二十日頃)

田圃や畑の準備が整い、それに合わせるように、春の雨が降る頃。この頃より変わりやすい春の天気も安定し、日差しも強まる。
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四月も終わりにさしかかった頃、年度始めの慌ただしさも一段落したせいでしょうか、気持ちが山に向かってうずいているのがよく分かります。

この時期、町石道にはシャガ(著莪)やクサイチゴ(草苺)の花が道端を飾ってくれています。

慈尊院から丹生官省符神社に続く階段横にシャガの花が咲くのをきっかけに、週毎に高野山目指して咲きあがるのを楽しむことができます。

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シャガは、その葉が簡素で年中緑っぽく、道脇にかたまって生えていることが多いのでその存在位置を容易に確認することができます。わりと陽の光が弱いところでも生育できるためか、他の花が咲かないようなところにも生えており、町石道全体を通して味わえるのです。

具体的には雨引山へ向かう途中、足場が悪くて日当たりの悪い所に百五十四町石があるのですが、その足元にシャガが群生しています。また、七十五町石手前の杉林の斜面にも群れて咲いており、足を滑らせながらも苦労して写真に収めました。

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他にも、眼下に紀の川の流れを望む百五十七町石を過ぎた所、竹林のある百七十二町石付近、五十五町石と袈裟掛石あたり、高野山道路を見下ろす六十三町石手前、杉の大木のある三十三町石にさしかかる地点などに群れて咲いており、シャガの花を町石にどのように絡めて写真に収めるかが楽しみの一つとなります。

とりわけ、五十七町石から五十二町石に至る間の町石道の両脇に咲くシャガには趣があります。左手の山がきれて、遠く紀伊の山々の連なりが見通せる所となっており、その道の両脇にシャガの花が咲き誇っています。山中の限られた視野から解放された心理的なものと、下から吹き上げてくる爽やかな風の感触が影響して、シャガの花が一層きれいに感じられます。

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この花をよく見てみると、全体が胡蝶のような形をしており、白色に近い薄紫の花びらに濃いめの紫の斑点が付いていて、その中に黄色い突起が混じって、花全体がアヤメに似た風情があります。

それに、シャガという語感がシャカ(釈迦)やサラ(沙羅)を連想させるためでしょうか、高野山町石道に相応しい感じがしています。葉っぱが簡素で常緑なこと、条件の悪い場所でも花を咲かせることなどが多分に宗教的で、意味ありげに感じられるのは私だけでしょうか。

そんな想いを抱いているとき、「紫の斑の仏めく著莪の花」という高浜虚子の句に出くわし、意を強くしました。

また、他の人の句に「譲ることのみ多き日々著莪の花」というのもありました。何となく分かる気がします。

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シャガの花に負けじと、この頃の町石道はクサイチゴ(草苺)の白い花が各所に咲いています。

シャガにはどことなく日陰のイメージがあるのですが、クサイチゴには明るさが似合います。実際この二つはあまり共存して咲いていないようです。

意外だったのが百五十二町石付近です。この辺り一帯は杉林の植林となっており、光不足でいつも殺風景な感じがしていたのですが、この日ばかりは違っていました。道端にたくさんクサイチゴが白い花を咲かせていたのです。きっと、日が射し込む時間帯があるのでしょうね。

思いがけないところに春を見つけ、何とか町石との重ね撮りがしたくて足を踏み入れたまでは良かったのですが、棘にチクチク刺されて悩まされました。春の到来を機に、服装を軽くしてきたこともあって、かなり苦戦しましたが楽しい一時でもありました。

町石道にはクサイチゴの他にも、モミジイチゴ、マルバフユイチゴ、フユイチゴ、ヘビイチゴなどが花を付けます。最近その種類の違いもわかり、実が食べられるかどうかも判断できるようになりました。もうすぐすると、それらをつまみ食いしながら町石道を歩く楽しみが加わります。

モミジイチゴ(紅葉苺)は、葉の形がモミジの葉に似ているところから名を付けられました。別名をキイチゴといい、落葉低木に位置します。クサイチゴの花が道端から春を告げるよりひと足早く、枝の先に可憐な花を下向きに咲かせます。

茎には棘が多く、写真を撮る時よく服に引っかけます。また、その黄色い実がおいしく、食べるのを焦って不用意に手を伸ばすと必ずや棘の洗礼を受けることになります。

ヘビイチゴ(蛇苺)については、その花が可憐なだけにその呼び名を好きになれません。しかし、気になるので、その名前の由来を調べてみると、果実の味がまずくて蛇しか食べないと想像したところから名付けられたと書かれていました。

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他に、明るいイメージの花といえばキンポウゲ(金鳳花)があります。

春の代表のような花ですが、百六十九町石や八十六町石付近の日当たりのよいところに固まって咲いているのを見かけました。黄色い艶やかな花が風に揺れており、遠目からもよく分かります。

この辺りはどちらも日が良くあたり、水も豊富にあって、季節ごとにいろんな花が咲いて目を楽しませてくれます。秋になれば、きっとミゾソバ(溝蕎麦)の花が群れて咲くことでしょう。

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四月の終わり頃、つまりゴールデンウイーク初めの頃になると、私は百二十町石のある二ツ鳥居横の八町坂を降りて、天野の里に向かいます。 この頃、天野の里では遅い春が訪れており、二度目の春を味わいたくて町石道をそれることにしているのです。

途中、弘法大師が休憩したとされる場所があり、そこには大師が残された杖の跡があると標識で紹介されていますが、私には何処に杖の跡があるのか分かりませんでした。

里に辿り着いた途端、前々から写真に撮りたかった花が私を待ち受けてくれていました。その名はオドリコソウ(踊子草)。

タンポポやレンゲに混じって、たくさん咲いていました。

名前が示す通り、この花を正面からよく見ると、人笠をかぶった踊り子の姿に似ています。最近とみに少なくなってきたと言われるこの花が、こんなにたくさん天野の里に咲いていたなんて驚きです。あらゆる角度から堪能するほどシャッターを切りました。

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天野の里と言えば、丹生都比売神社があり、朱塗りの太鼓橋や国宝の桜門などがあって歴史を感じさせます。山間に位置するこの地は、すでに今頃から田植えが行われており、カエルやウグイスの鳴き声が山間にこだましていました。夏になるとホタルが飛び交い、まるで別天地の感があります。

有王丸の墓、貧女の一灯お照の墓、横笛の恋塚、西行庵などがあり、天野にまつわる物語が多く残されています。これらの伝説は、高野聖によって語り伝えられたと言われています。白州正子さんは、その著書「かくれ里」でこの天野の里を紹介し、読売文学賞を受賞しました。

好天に恵まれたこの日、天野の里を充分に散策してから、かつらぎ町の山の尾根を紀の川を下に見ながら、満足した想いで家路につきました。

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明くる日曜日、再び大門目指して町石道を上りました。

この時期、忘れてはならないものにアセビ(馬酔木)の新芽があります。

アセビの木は、百町石付近から高野山にかけてがぜん多くなります。ご存じのようにアセビの葉を食べると馬もしびれるらしく、毒性があり、虫もその新芽を食べないと言われています。確かに虫に食われた葉っぱを見かけません。その特長を生かして、動物の食害を防止しながら緑を保つことに利用されるそうです。現に春日大社や奈良公園では鹿の食害対策として植えられています。

アセビを庭木や盆栽として楽しむ人も多いようです。

アセビは濃緑色の葉が茂る枝先に、どこかスズランに似た花を連ねて咲かせます。

「花馬酔木 掌にさやさやと 音たちぬ」 感じをうまく捉えて表現した句だと思います。

今頃、高野山の山上では見事なまでに花を付けたアセビの木々が観光客の目を楽しませていることでしょう。

アセビの木は大きくなると屈曲した樹形となり、町石道には大小取り混ぜて存在しています、道端にある木々からも一斉に新芽を出しており、それらを観察してみると、花を咲かせる木と咲かせない木があるようですが、おしなべて新芽の美しさはどの木からも味わえます。新芽は古い葉の緑の中で白っぽく浮き上がり、貝割れ大根がそろって芽を出したような雰囲気で立ち並んでいます。

道端には背の小さい木がそろって新芽をつけており、上から覗き込みながら、その色合いを楽しむことができます。日当たりの具合なのか、赤みがかった新芽もたくさんあって、その色合いの変化がとてもきれいでした。

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大抵は私自身、写真を撮りながら一人マイペースで歩いていますが、何かの機会に見知らぬ人と話を交わし、一緒に歩くこともあります。

この日も「同行二人」と書いた菅笠をかぶり、金剛杖をついた白装束の方とお近づきになり、色々話しながら歩きました。

この方は昨日、和歌山市内に宿を取り、今日こうして歩いてきたのだとか。四国を周り、今日で歩き始めてから丸一ヶ月が過ぎたそうです。

なお「同行二人」は「どうぎょうににん」と読むそうで、いつもお大師さんと二人連れということだそうです。そう言えば、「同行二人」とか「南無大師遍照金剛」と書いた札や布きれが町石道に吊されています。

「同行二人」という言葉を知ってから、一人で歩く町石道も何となく心丈夫に感じられるようになりました。

今日もシャガの花咲く道を、カメラ片手にお大師さんと二人連れで歩いてきました。

四季の高野山町石道の動画を見る

笹田義美氏

笹田義美先生のプロフィール

  • 和歌山県に生まれる。
  • 和歌山大学教育学部卒業後、和歌山県立箕島高校、伊都高校、橋本高校の教諭に就く。
  • 和歌山県教育委員会学校教育課の指導主事に着任。
  • 和歌山県立橋本高校、紀北工業高校の教頭職に就く。
  • 「紀の川散歩道」を発刊
  • 和歌山県教育研修センター副所長に就く。
  • 伊都地方教育事務所長に就く。
  • 「四季の高野山町石道」を発刊。
  • 和歌山県立紀の川高校の校長に就く。
  • 和歌山県立紀の川高校の校長退職。
  • 現在に至る。

販売のご案内

世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
著者
笹田 義美
定価
2,800円(税込)
お問い合わせ
TEL. 073-435-5651