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ウォーキング随筆紀行高野山町石道「小雪の頃・落ち葉の道を踏みしめて」

小雪の頃 落ち葉の道を踏みしめて

小雪の頃 落ち葉の道を踏みしめて

小雪(十一月二十二日頃)

陽射しは弱まり、冷え込みが厳しくなる季節です。木々の葉は落ち、平地にも初雪が舞い始める頃。
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今日十一月二十三日は勤労感謝の日、暦の上では「小雪」です。

雪は降らないまでも、かなりの冷え込みに、朝起きてみると霧が発生していました。何となく景色が薄いベールを被っており、冷たい湿気が身体にまといつくようでした。

紅葉が山頂から里におりてきており、歩き始めから秋の終わりを感じながらのスタートとなりました。

百七十六町石の側にはイチョウの木があって、それが今頃では真黄色な傘を町石にさしかけているはずです。近くに来て、思惑通りの景色がそこにあり、満足の撮り始めとなりました。イチョウと町石との組み合わせはここしかなく、この日を心待ちしていただけに、それをものにした嬉しさがこみ上げてきました。

それに加え、その近くで、葉の落ちた柿の木に熟れた実が残って、町石道にはみ出ている構図が絵になっており、写真に収めました。思わぬプレゼントに気分がのってきます。

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神様は早起きの私に幾つかの贈り物を用意してくれていました。早起きは三文の得、とはよく言ったものです。

百六十九町石近くに来ると部分的に霧が晴れて太陽が顔を出し、空の青と山一面の柿の色がマッチした写真が撮れましたし、そこから少し上に登ると、茶褐色に色づいたクヌギ林を背景にした百六十八町石が日に輝いていました。道は隙間なく落ち葉に覆われており、暖かそうで思わず寝ころびたい誘惑にかられました。

落ち葉道を通過し、更に展望台近くにさしかかったとき、タンポポの白くて丸い綿毛が逆光の中で浮き上がるように顔を並べていました。

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柿畑を割るように通っている道の両側に、細い髪の毛のような葉の固まりが連なっているのが目に付きます。まるで柿の落ち葉の中でモコモコした緑色のカツラが並んでいるようです。実はこの中にルビーの真珠が隠されているのです。それがリュウノヒゲ(竜の髭)であることを知っている人も多いことでしょう。

期待を込めて葉っぱをかき分けると・・・・・、ありました、ありました。瑠璃色の球がしっかり色づいて顔を寄せ合っていました。

細い葉を竜のひげに見立てて名付けられたそうです。瑠璃色の花を付けるリンドウが「竜の胆」と書く所を見ると瑠璃色は竜の好きな色なのかもしれませんね。

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百六十三町石付近から眼下を見渡すと、紀の川の川面にかかった霧の光景がひらけ、私を迎えてくれていました。うすい霧のベールの中に、影絵のように浮かぶ町石がとても幻想的でした。

いつもは紀の川の蛇行を見下ろせる地点なのですが、この日は、山に挟まれた川面に霧がよどんでおり、空の青と白い霧の配合が何とも言えないパノラマとなって眼前に展開されていました。しばし、ぼう然と見とれました。

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先週のうちに残っていた柿の葉っぱもすっかり落ちてしまい、そのうら寂しい情景に冬の到来を実感しました。

今、里山は名残りの秋と冬の兆しが同居している時期です。道には落ち葉が多くなり、冬を感じるのですが、上空を見上げると木々はまだまだ捨てがたい紅葉に彩られています。

この時期、私は百二十四町石から二ツ鳥居の百二十町石に至る町石道を歩くのが好きです。道の両側がえぐられようにV字型になった底を通る町石道には落ち葉が降り敷いてたまり、ふかふかの絨毯の上を歩くような感触があります。わたしはここをひそかに「落ち葉の谷道」と名付けています。

斜面を滑り落ちて溜まった落ち葉はまだ地面になじんでおらず、足を踏み込むと浮き上がるような感じで、何となく頼りない感じがします。手で跳ね上げたい誘惑に駆られましたが、前方からサクサクと乾いた音がし、人が近づいてくるのが感じ取れたので思いとどまりました。これらの落ち葉も、人が通り、雨が降る毎に、時間の発酵作用を受けて大地の一部となって溶け込んでいくのです。

この付近には、当時の庶民が寄進した十方碑が多くあることも好きになれる要素の一つです。斜面を見上げるとその碑が黄葉に包まれるように建っており、その後ろから日が射して輝く瞬間が私心を打ちます。

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秋の透き通った光を受けて、町石道にはツタやウルシが赤く色づいて歓迎してくれており、道行く人が交わす挨拶にもどことなく満足感が漂っています。

特に、広葉樹林の紅葉や黄葉が目に快い刺激を与え、山の空気が肺を満たして、よどんだ気分を洗い流してくれるかのようでした。

道端に生えたススキもすっかり枯れて穂が白くなり、逆光に輝いていました。また、フユイチゴ(冬苺)が実を付けていました。これが意外と町石道には多く生えていて、つまんで口に含んでみると、野いちご特有の甘酸っぱい味がします。

フユイチゴだけでなく、枯れ草の中でヤブコウジ(藪柑子)も幼い苗木に赤くてまん丸い実をかわいく付けていました。

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高野山展望台を下りて直ぐの町石道に卒塔婆の形をした真新しい板標識が建てられており、そこには赤い矢印の下に「町石道」と書かれていました。先週の日曜日、「北条時宗と町石道」と銘打った催しが行われ、千人を越える人がこの道を登ったと聞いています。この標識はどうやらそのときに建てられたもののようです。

言うまでもなく、今年はNHK大河ドラマ「北条時宗」が放映されており、私も欠かさず見ています。

今の町石道は時宗、政村ら鎌倉幕府の援助のもと、二十年の歳月をかけ、弘安八年(一二八五年)に完成しました。そのとき、板の卒塔婆から花崗岩の五輪卒塔婆に作り替えられたのです。それを陣頭指揮した安達泰盛が寄進した十二町石や北条時宗の十町石が大門下に建っています。

この頃、日本は文永の役(一二七四年)と弘安の役(一二八一年)の二度にわたる蒙古襲来という国難の時代であったにもかかわらず、この大事業を完成させるという背景には極楽浄土への熱い願いが込められていたのでしょう。

完成後、七百有余年もの風雪に耐え、建てられたままの姿を今に残しながら存続することが高く評価され、昭和五十二年七月(一九七七年)「国の史跡・高野山町石道」として指定されました。

それに加え、最近、世界遺産の暫定リストに登録された事もあって、「マンダラウォーク」と名付けられたこの催しには、全国から多くの人が集まり、異常なほどの高まりをみせたようです。

ただ、私としては、そんなことはあまり意識せず、四季折々の町石道を味わいながら歩き続けたいと思っています。

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「鏡石」を過ぎ、二十七町石の手前に来ると、ヤマモミジがきれいに色づいていました。今日のウォークは百二十六町石のイチョウの黄葉とこのヤマモミジの紅葉がお目当てでした。小振りな葉っぱが秋の日差しを受けて。一本の木の中で色々に染まっており、上空を仰ぎながらカメラのファインダーをゆっくり移動させていき、感じるところでシャッターを切って何枚も写し取りました。

お寺や神社などのように手入れされた美しさはありませんが、山の景色の中で色づく素朴な姿には穏やかな趣があります。

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二十三町石付近は杉の植林となっていますが、下にはササの葉が生い茂っています。今日は日当たりも良く、木々の間を通り抜けた光が乱反射して、幹やササの斜面、町石に影を落とし、まだら模様を描いていました。 「これではマンダラストーンというよりも、まだらストーンだな。」 なんて、いらぬ事を考えながら、しばし、そのおもしろい絵模様に浸ったのでした。この付近は。時間によっては全然日が当たらず、ストロボが自然発光する時もあるくらいです。ラッキーな一時でした。

上の登るにつけて紅葉から落ち葉の季節へと、着実に時が移り変わる様子を感じながらの一日となりました。

四季の高野山町石道の動画を見る

笹田義美氏

笹田義美先生のプロフィール

  • 和歌山県に生まれる。
  • 和歌山大学教育学部卒業後、和歌山県立箕島高校、伊都高校、橋本高校の教諭に就く。
  • 和歌山県教育委員会学校教育課の指導主事に着任。
  • 和歌山県立橋本高校、紀北工業高校の教頭職に就く。
  • 「紀の川散歩道」を発刊
  • 和歌山県教育研修センター副所長に就く。
  • 伊都地方教育事務所長に就く。
  • 「四季の高野山町石道」を発刊。
  • 和歌山県立紀の川高校の校長に就く。
  • 和歌山県立紀の川高校の校長退職。
  • 現在に至る。

販売のご案内

世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
著者
笹田 義美
定価
2,800円(税込)
お問い合わせ
TEL. 073-435-5651