トップに
戻る

ウォーキング随筆紀行高野山町石道「大雪の頃・あったか落ち葉の町石道」

大雪の頃 あったか落ち葉の町石道

大雪の頃 あったか落ち葉の町石道

大雪(十二月七日頃)

北風も次第に強く、朝夕には池や川に氷を見るようになる。大地の霜柱を踏むのもこの頃からです。山々は雪の衣を纏って冬の姿となる季節。
イメージ1

十一月中旬から長く続いていた秋日和も、冬型の寒冷前線に取って代わられ、どんよりした雲と冷たい雨がわびしさをつれて路面を濡らしていました。

季節も仲冬、二十四節気の「大雪」を迎え、それに合わすかのように気温も急に落ち込んできました。吹きつける風に身体を縮めながら「急に寒くなりましたね。」とかわす言葉が真実味を帯びたものとなってきました。木々の葉っぱも短期間に紅葉から枯れ葉へと移り変わり、いよいよ落ち葉のシーズンの到来です。

不本意ながら、風邪を引いたようです。

それを聞きつけて、おばあちゃんが風邪薬を届けてくれました。

「カッコントウは、よう効くで」

「カッコントウ?」 梱包薬の表書きを見ると「葛根湯」と書かれてあり、このときはじめて葛の根が風邪に効くことを知りました。

「お父さん、これ舐めとき」と言って、妻がくれたのが「南天のど飴」。 クズ(葛)といい、ナンテン(南天)といい、町石道でよく出会った植物だけに、それからつくった薬には近しいものを感じました。町石道の薬草や山菜の写真を特集するのもいいな、というアイデアも浮かびました。

イメージ2

今日、歩き始めたころは霜が降りており、里山の景色は地表一面が白いベールに覆われていました。霜を被るとただの草の葉も輪郭が白く縁取られて、別の趣を呈します。

日が射すまでの短い命に、霜の精はあらゆるものに輝きを与えていました。かじかんだ手でシャッターを押すごとに、楽しさが膨らんでくるようでした。

イメージ3

「おしょぶ池」から見上げたところに「勝利寺」と「紙遊苑」が並んで建っています。勝利寺は弘法大師厄除観をまつる寺として知られ、山門には仁王様が睨みをきかせていて、そこにはたくさん草履がぶら下げられています。足の悪い人がお参りをするそうです。また一際大きな草履があり、訪ねてみると仁王様に捧げられたものだとか。また、紙遊苑では紙すき体験が出来ると聞いています。

そこを通り過ぎて百七十六町石にかかると、先週は町石を覆っていたイチョウの葉が散ってしまい、道を黄色く染めていました。柿の葉もすっかり落ちてしまったようです。

そんな中で、枝にこびりついた最後の一葉が風に揺れている様は、何となく寂しさ誘います。そのいたいけさに「もうちょっと頑張れ」というエールを送りたくもなります。木々にとって最後となる一葉も、落ち葉の側からすれば、真新しい「落ちたての葉っぱ」ということになり、何となく暖かなイメージに変わります。

葉っぱが全部散ってしまい、装飾をかなぐり捨てた樹々には厳しさのようなものが漂います。若葉、新緑、深緑、紅葉と移り変わり、木の葉が主役であった木々も、その座を木そのものに明け渡たし、日を追うにつれて「木ここにあり」といわんばかりに存在感を誇示してくるかのようです。

イメージ4

特に雑木林の四季の変化には心惹かれるものがあります。季節とともに変化し、成長する様子を続けて見ていると、雑木林が単なる雑木の集まりではなく、全体が一つの命のように感じられます。

一年の勤めを終えた木々の隙間からこぼれた陽の光が、落ち葉を敷き詰めた林床部に幾筋も差込み、乱反射して黄金色に輝くとき、光と影が爽やかな対比を見せてくれます。

この繰り返しが気の遠くなるような年月を重ねることによって生じてくる精なるオーラが五輪の卒塔婆に染み込んで、静かに私たちに語りかけてくるかのようです。

ゆったりと循環する季節の移り変わりの中で、当たり前のように芽生え、そして枯れていく輪廻の生命が霊気として町石にしみ込み、歴史の重みとなって蓄積されながら、これからも立ち続けることでしょう。町石の写真を撮ることによって、この一瞬に永遠を閉じこめたような錯覚を覚える事があります。

イメージ5

町石道を歩むことで、自分の時間との接点を見付け、心に響く一瞬を体感するとき、それは自分にとって「しあわせな時間」に他なりません。

百二十四町石から百二十町石にいたる「落ち葉の谷道」には、降りたての落ち葉が底に積もり、足が埋もれてしまいそうです。シャカシャカ、ザクザク、落ち葉の種類と積もり具合によって微妙な音の違いはありますが、道行く人の表情には一様に満足感が読みとれました。

上を見上げると大きな葉っぱが今にもこぼれそうな感じで宙に浮いていました。ホオ葉は裏が白く色づいて、下から見ると他の枯れ葉とは違ったイメージで目に映ります。空中に白い葉が浮かぶ様は、プロペラが飛んでいるようでした。地表に落ちた大きな葉っぱにも存在感があります。

イメージ6

木に残る紅葉、黄葉はその数は少なくなったものの、熟した色合いで心に迫ってきます。 そして、道には、大きい葉、小さい葉、ハートの形をした葉、スペードの形をした葉、細い葉、丸い葉・・・・など、様々なバリエーションで落ち葉が散りばめられています。その気になってみると面白く、虫食い葉さえ何か意味ありげに見えてくるのでした。

そんな落ち葉をカメラに収めながら歩いていると、落ちた葉の一つひとつが、私も写して、私も写してと、語りかけてくるようで、おもわず時間を忘れてしまいそうです。

今度歩くときは、ビニール袋を用意しておいて落ち葉拾いウォークをしてみたいと思っています。

高度を落とした冬の陽が町石道に映る木々の影を長く伸ばしています。夏の頃は葉が茂り、木洩れ日がまだらな斑を描いていたのですが、ここにきて急に変化に富んだ曲線となってきました。曲がりくねった木々の影はまるで両手をあげて、身体をひねりながら踊っているかのような姿に見えます。落ち葉の降り敷いた町石道が、あたたかなキャンバスとなって連なっています。

イメージ7

七十町石に来て、町石に映り込んだ木の葉の影が絵模様となっており、これまでにない現象に思わずシャッターを切りました。

光が当たり、白っぽく見えて建つ町石の表面に映り込んだ細かな木の葉模様は、いつもは厳粛な感のする町石をかわいく感じさせる演出をしてくれていました。

これまで草が生い茂っていた頃には、斜面に隣接する町石道には緑色の隔たりがあったのですが、ここにきて、草が枯れ、落ち葉が斜面と道の境目を埋め尽くすことで何か道が広く感じられ、カーペットを敷いたような暖かさで続いています。

小春日よりの暖かい日に、こんな町石道を歩くのが一番好きです。

イメージ8

ゴルフ場に沿った道を百十三町石近くまで来ると「神田応其(おうご)池」が見えてきます。神田は古来、丹生都比売神社のご供米を作る場所と定められており、桃山時代に応其上人がその米作に最も重要な養水の保存にと改築されたそうです。なお、水の神、雨引の神といわれる善女竜王を池の半島に祀り込めたと伝えられています。

青い空を写した池の面が穏やかな色に染まっていました。この池が応其上人によってつくられたこと、この水が丹生都比売神社に納める神田米を作っていることを思うとなぜか有り難く感じられるのでした。

イメージ9

神田地蔵堂の横手に、首のない印を結んだ石仏が祀られています。首がないのになぜかあどけない感じが漂っており、暖かい日差しの中でのんびり見えたのは気のせいでしょうか。 昨夜、上の方で雪が降ったらしく、蔭になったところにはうっすら雪が残っていました。落ち葉に気を取られながら下を向いて歩いていると、四十町石あたりでヤブコウジが私の目を引きました。 枯れ草を下地にして広がった緑色の葉が新鮮で、しかもその葉にザラメをまぶしたように雪が乗っており、その葉陰から小さな赤い実が顔を覗かせていたのです。

背丈が小さいだけに、かがみ込んで写真に収めました。ショートケーキの上に乗るデコレーションのようで、私にとってはおいしい被写体でした。

この時期にはナンテン、フユイチゴ、ヒヨドリジョウゴなども熟しており、周りの枯れた色合いの中で、白い雪を被った赤い実がアクセサリーのような彩りを添えてくれています。 秋の気配と空気を満喫しながら、町石道を歩きました。

いつもながら世間の慌ただしさから切り離された魅力的な世界が連なっていました。

今年中にもう一回歩きたいな、と思っています。

四季の高野山町石道の動画を見る

笹田義美氏

笹田義美先生のプロフィール

  • 和歌山県に生まれる。
  • 和歌山大学教育学部卒業後、和歌山県立箕島高校、伊都高校、橋本高校の教諭に就く。
  • 和歌山県教育委員会学校教育課の指導主事に着任。
  • 和歌山県立橋本高校、紀北工業高校の教頭職に就く。
  • 「紀の川散歩道」を発刊
  • 和歌山県教育研修センター副所長に就く。
  • 伊都地方教育事務所長に就く。
  • 「四季の高野山町石道」を発刊。
  • 和歌山県立紀の川高校の校長に就く。
  • 和歌山県立紀の川高校の校長退職。
  • 現在に至る。

販売のご案内

世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
著者
笹田 義美
定価
2,800円(税込)
お問い合わせ
TEL. 073-435-5651