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読む 鞍馬街道・鞍馬山 第七話・貴船神社本宮~奥宮

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第七話・貴船神社本宮~奥宮

鞍馬街道・鞍馬山-7

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貴船神社(きぶねじんじゃ)本宮を後にして、奥宮(おくみや)に向かいます。

この石段を下って行くと貴船の町です。若いカップル、女性が沢山お参りしています。昔から「恋路の闇に迷う者は、貴船の大明神を信じ奉じれば、願い事がかなう」と言われています。まさに貴船神社は、今も昔も「恋を祈る神社」です。

鳥居をくぐって左に曲がります。この町は京の奥座敷と言われるだけのことはあって、いたるところに川床(かわどこ)が設けられ、納涼のお客様をお待ちしているようです。しばらくすれば、このとおりお客さまで一杯です。

右側に川床の施設を見て舗装された道を歩いて奥宮を目指します。すすんでいくと、左手に中宮(なかみや)への登り口が見えてきました。その登り口に、貴船神社中宮、結社(ゆいのやしろ)の説明板があります。この短い石段を登ると社です。磐長姫(いわながひめ)をまつり、縁結びの神として信仰されています。言い伝えによるとニニギが妹の木花開耶姫(このはなさくやひめ)と結婚しようとした時、父の大山祇命(おおやまつみ)は、磐長姫(いわながひめ)も共にと申し出たが、ニニギは妹だけと結婚したので、磐長姫(いわながひめ)はそれを恥じて「縁結びの神として良縁を授けん」とこの地に鎮まったと言われています。

その中宮の横に「磐長姫(いわながひめ)の御料船(ごりょうせん?)として奉納された船形の自然石「天の磐船(いわふね)」があります。そして、その奥に和泉式部の歌碑があります。第六話でも紹介しましたが今一度紹介しましょう。

ものおもえば 沢の蛍も わが身より あくがれいずる 魂(たま)かとぞみる

「恋しさに悩んでいたら沢に飛ぶ蛍も私の身体から抜け出た魂ではないかと見える」という歌です。興味深いことに、すると貴船明神が歌を返したと言うのです。その歌

おく山に たぎりて落ちる 滝つ瀬の 玉散るばかり ものな思いそ

「そんなに思いつめてはいけない」と歌ったということです。このあと、和泉式部は願いが叶えられて、不和になっていた夫と復縁できた。というお話でよく知られています。なかなかのご利益があるお話です。

結社からもとの道にもどり奥宮を目指します。このあたりも川床のある風景が続きます。

しばらく歩いていると、二本のスギがぴったり寄り添って同じ根から生えています。相生(あいおい)の杉と言われていて、樹齢1000年、仲睦まじい老夫婦の姿に例えられています。中々いい姿です。ほほが緩みました。

相生の杉をすぎると、左手奥に鳥居が見えてきました。ここからが奥宮の参道です。その鳥居の元に、「思い川」の石碑、平安人はこの川で身を清め参詣したと言われています。ここには、高浜虚子の二つの句が残っています。

おそ桜 なほもたづねて 奥の宮 思川 渡れば またも花の雨

思い川橋を渡って進みます。参道を進むと左手につつみケ岩があります。貴船の石特有の紫色の巨石で、現代では幻の石と言われています。

さらに参道を進みます。砂利を硬く敷き詰めた歩きやすい道で、右側には杉の巨木が参拝者を迎えてくれます。社の言い伝えでは、貴船神社は反正天皇(はんぜいてんのう)の時代406年頃創建されたと伝えられ、神武天皇の母である玉依姫(たまよりひめ)が黄色い船に乗って淀川、鴨川、貴船川を遡ってこの地に上陸して水神(みずかみ)を祀ったのにはじまると伝えられています。黄色い船が貴船になった。なるほどなるほど。貴船神社は、永承(えいしょう)元年1046年に社殿が流され、現在の本宮の地に社殿を再建し遷座(せんざ)して、元の地を奥宮としたということです。

前方に奥宮の神門(しんもん)が見えてきました。この門をくぐるとすぐ左に「連理の杉」があります。「連理の杉」は杉と楓が根元でひとつになっています。

その前に日吉社(ひよしのやしろ)があります。連理の杉を左手に見て進むと、奥宮舞殿があります。さらにその奥にあるのが奥宮本殿です。本殿の右隣に奥宮権地(おくみやごんち)があります。奥宮権地(おくみやごんち)の下に龍の穴があり人目に触れぬようにしています。本殿の左となりには、玉依姫が乗ってきた船が石に覆われたものと伝えられる船形石(ふながたいわ)があります。貴船神社は、平安時代より、水の神、縁結びの神として人々にあつく信仰されています。