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読む 鞍馬街道・鞍馬山 第四話・鞍馬寺本殿金堂~大杉権現社

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第四話・鞍馬寺本殿金堂~大杉権現社

鞍馬街道・鞍馬山-4

読む 蔵馬街道・鞍馬山

本殿金堂を後にして、義経公背くらべ石を経て大杉権現社(おおすぎごんげんしゃ)に向かいます。

右側に見えるのが光明心殿(こうみょうしんでん)です。護法魔王尊(ごほうまおうそん)が祀られていて、木の杭で囲まれたところで、初寅大祭などの護摩供養がおこなわれます。その脇の道を進むと、奥の院参道の看板、ここをくぐっていくと、人だかり、吉本新喜劇風に「ごめんやっしゃ、ごめんやっしゃ」と人を掻き分けて進むと、「あらま」目の前に現れたのが、また石の階段の坂です。お盆のこの日は、雨も降り一段と蒸し暑くなっていて、皆さん汗だくです。このへんは、平坦な石畳の道です。

しばらく歩くと、前方右に、二つの歌碑が見えてきました。近づいてよく見ると、与謝野鉄幹、晶子の歌碑です。晶子の歌 何となく 君にまたるるここちして いでし花野の 夕月夜かな 鉄幹の歌 遮那王(しゃなおう)が背くらべ石を山に見てわが心なほ明日を待つかな この歌碑の前の広場から見た眺望です。このあたりが、比叡山でしょうか。それにしても美しい風景で、一幅(いっぷく)の山水画のようです。二つの歌碑の隣には、霊宝殿(れいほうでん)があります。この3階には、国宝の毘沙門天三尊像などが祀られていて拝観することができます。その前には、与謝野晶子の書斎で冬柏亭(とうはくてい)があります。この書斎は、晶子が亡くなると、昭和18にいったんは大磯に移され、そして昭和51年にこの鞍馬山に移築されました。

冬柏亭(とうはくてい)を左に見て進むと、ここからが奥の院です。山門をくぐると、うっそうとした木々の間に入り込むことになります。

しばらくすると、右側に牛若丸息つぎの水です。牛若丸が毎夜奥の院僧正が谷(そうじようがたに)へ兵法の修行に通った時に、この清水で喉をうるおしたと言い伝えられています。「なるほど、なるほど」ちょうど私も喉が渇いたので、この場所で水分補給をしました。牛若丸も歩んだ道、こんな歩きやすい石段ではなかったろうと思いをめぐらせました。この坂が屏風坂(びょうぶざか)といわれ、その途中に地蔵尊があります。ここは、むかし屏風の様になっていたのだろうか、今はその言葉だけが残っているのでしょうか。この坂の連続が屏風の様に見えたのでしょうか、しかし、本当に石段の坂の連続です。ここは急な石段です。「いつまでつづくのでしょうかこの坂は・・・・・」と言いたくなりました。

やっと、頂上が見えてきました。この先が峠です。この峠には、義経公の背くらべ石があります。平家打倒を胸に秘めて、奥州平泉の藤原秀衡のもとに下る時、鞍馬山に名残をおしんで、背を比べたと伝えられています。それにしても義経公はすこし小柄な人だったんでしょう。

前の道が分岐点になっていて、真っ直ぐは魔王殿です。今回は、この石段を登って、大杉権現社(おおすぎごんげんしゃ)へ向かいます。登って行くと、木の根道です。まるで木の根が大地をつかんでいるかのように見えます。この地がもともと砂岩で、杉の根が地下に伸びることができなくて、地表に根を張ったために、このような景観になったと言うことです。世界遺産熊野古道中辺路の滝尻王子の山に入って行ったところの道も同じような景観です。木の根道を通りすごすと下りの道です。ここから土道の連続です。すると、ここでも木の根が大地をつかんでいます。

その道を進んでいくと、前方に大杉権現社です。大杉権現社には、昔、樹齢おおよそ千年の杉の巨木があり「護法魔王尊影向(ごほうまおうそんようごう)の杉」として、いにしえより尊崇(そんすう)され、多くの人達の信仰を集めていました。またこのあたりは、大杉苑(おおすぎえん)瞑想道場とも呼ばれ、瞑想される方も多い所です。

次回は、義経堂をへて、魔王殿までの道を紹介します。