清明の頃 サンシュユに我を忘れて
清明(四月五日頃)
清浄明潔の略。晴れ渡った空は当に清浄明潔という語にふさわしい。地上に目を移せば、百花咲き競う季節。
年度始めの慌ただしさから逃れるように、朝一番の電車に飛び乗って高野山の山上に向かいました。今日は、大門から慈尊院まで一気に降りて来ようという計画です。
大門から見た明け方の空は、群青色に染め抜かれて、あくまでも澄み渡り「清明」というイメージにピッタリの景色でした。ここからは幾重にも重なった山の向こうに、遠く淡路島や紀淡海峡が望めます。
町石道には、和歌山県の「朝日夕日百選」のうちの二つがあります。一つは。九度山展望台から見る朝日、そしてもう一つは、ここ大門から見る夕日です。
説明書きの石標には「標高九百メートルから見る夕日は、一日の感謝と明日への希望の灯として心に刻まれる。」と紹介されています。
夕日もさることながら、早朝の澄み渡った空気の中で見る景色にも胸に迫るものがありました。
しばらくはこの景色に見とれ、敬虔な空気を体中に行き渡らせたあと、町石道を下り始めました。
斜面にクマザサの生い茂るポイントを通過し、十町石のあたりに来て足が止まりました。 そこには枝々に淡黄色の花の固まりを下向きに付けた木々が樹林の下に点在していたのです。一週間前、ここを通りがかったときから気にはなっていたのですが、こんな風に色づくとは思っていませんでした。これがミツマタ(三椏)の花であることを後で知りました。
「三椏や皆首垂れて花盛り」この句のように、枝の先々には白毛に包まれた、ハチの巣を思わせるようなつぼみが垂れ下がっていて、それを目にしたとき妙な感慨を覚え、興味を引かれました。それが今、色づいてピークを迎えているのです。
そう言えば、ミツマタが紙の原料になることをどこかで習った覚えがあります。また、枝の先端が三つに別れていることがこの木の由来になっていることも知りました。
一時期、各地に広く栽培されてきた樹木ですが、洋紙の普及とともに次第に廃れ、今日では珍しい花木として庭木や鉢植えにされているそうです。
ところで、ここにある十町石と言えば、北条時宗が寄進したものです。下から登ってくるときは、このあたりは上り坂がきつく、フーフー言うところですが、今日は逆に降りるコースですから周りを眺める余裕もあり、時宗の十町石にもさわったりしながら、おもしろい写真も撮れて快調なスタートとなりました。
四月の花と言えば何と言ってもサクラ(桜)です。
今年は少し暖かかったせいか、十日ばかり早い開花となっています。しかし、高野山上では、まだまだつぼみも堅く、開花まであと一週間はかかりそうです。二十五町石付近の鳴子川が流れている休憩場所にも桜が植えられていますが、まだ開花にはほど遠いものがありました。
しかし、下に行くに従って状況が一変します。
高野山道路沿いにある三十七町石や三十九町石あたりの桜は丁度頃合いに咲いており、華やかさを添えていました。
更に下って五十八町石まで来ると、一本の山桜が満開状態で咲いており、ときおりの風に吹かれて町石に花びらが散る様には風情がありました。どちらかと言えば、地味な町石の姿ですが、この日ばかりは晴れやかな雰囲気に包まれていました。
今日は山桜をバックにした町石の写真を撮りたくて来ただけに、それが実現できた満足感に浸りました。
百十五町石近くに「白蛇の岩」と呼ばれる岩があり、正面には木製の鳥居が建っています。この岩には白蛇が棲んでいたといわれ、この白蛇の姿を見ると幸せが身につくと言い伝えられています。このあたりの道に桜の花びらがいっぱい落ちているのに気が付き、おもわず見上げました。遙か上方に山桜の木があり、ピンク色に空を染めていました。
それに二ツ鳥居の山桜もいい具合に咲いており、何枚も写真に収めました。
五十八町石、白蛇の岩、二ツ鳥居と山間にあって、風に舞う山桜の清楚な美しさとは趣を異にして、山の下では慈尊院の糸桜、官省符神社の染井吉野、勝利寺のしだれ桜、紀の川堤防の桜堤など、明るく華やかな雰囲気に包まれた桜が春を謳歌していました。
思いがけない発見もあります。
「美しや袈裟掛石に散る桜」の句からして、袈裟掛石のあたりに桜が咲いているはずだがと思って、辺りを見回しながら進んできたのですが、桜の木らしきものは見あたりませんでした。キョロキョロしながら「押上石」の下を通過し、五十六町石あたりに来たとき、足元に可愛い花がかたまって咲いているのを見付けました。
枯れ葉の間から、三つ葉の葉っぱが顔を出し、白い五弁の花を付けていたのです。道端に生えているこの花を何とかうまく写真に収めたくて、しゃがみ込んで撮ろうとしたのですがうまく収まりません。仕方なく道端にベタッとうつむけに寝そべってやっと五、六枚取り終えました。
この花に限らず、早春の頃、枯れ葉に包まれながらも、その間から可憐な花を咲かせるスミレやタンポポには心暖まる想いがします。
帰ってから調べてみると、この花の名はミヤマカタバミ(深山傍食)であることが分かりました。私にとっては初めて目にする花でした。
この時期、町石道にとって忘れてはならない花があります。それはショウジョウバカマ(猩々袴)です。
所によっては白かったり、ピンクであったり、多少色合いが異なりますが、この花には周りの草と違った雰囲気があります。ハケのような花びらが、長い茎の上についている様は見る人を引きつけます。
このハケの部分は中国の伝説上の動物「猩々」の赤い毛を意味し、葉を袴に見立てて名が付けられました。それに雪割草という別名も魅力的ですね。
町石道を降りてきて八十九町石にさしかかったとき、目と足が釘付けになりました。息をのむ光景がそこに開けていたのです。
右手の斜面一帯が、真っ黄色に染められていました。それが予期せぬ形で目の前に出現しただけに驚きました。
サンシュユの栽培林だったのです。
陽の光に透けて見える明るい黄色の連なりは、それは見事なものでした。目をつぶっても網膜に黄色い色が焼き付くような感じです。サンシュユが別名、ハルコガネバナ(春黄金花)と呼ばれるのも頷けます。
春の明るさの中で、サンシュユの黄、空の青、雲の白さが程良く配分され、私のカメラ心が触発されました。山の斜面を上ったり下ったりしながら、構図をいろいろに変えてシャッターを切りました。もちろん町石を主役にしたものも十数枚撮りました。
時を忘れて、夢中で写真を撮りました。今しかない、この天気しかない、という想いがそうさせたのでしょう。
それはもう楽しい一時でした。
「いいなぁ、いいなぁ」思わず出る独り言をつぶやきながら、土手を行き来しました。こんな自分を後で振り返ると、そこには、すっかりこの町石道に魅せられた自分があり、最近では「もう抜け出せないな」というものを感じています。
今日は天気も良く、時間的にも気分的にも余裕があったので、前々から計画していながら実行に移せなかったことを敢行しました。
山間にある神田の集落はいかにも長閑で牧歌的な印象があり、また、神田という名の魅力も手伝って、常々周辺を訪れてみたいと思っていたのです。いつもはこの集落を下に見ながら地蔵堂の側を通り抜けていくのですが、今日こそ降りてみることにしました。
春の日溜まりの中に身を置いて、下から見上げる地蔵堂に平和なものを感じました。
誰にも出会うことなく辺りを一周してきました。春の訪れを地域全体で受け止めているような気配が素敵でした。
サンシュユのなごりを残し、神田の春をかみしめながら足取りも軽く町石道を下ると、早くも六本杉が近くなってきました。しばらくは杉の植林が続きます。
百三十三町石や百三十四町石は、その植林の中に建っています。この二基はいずれも北条時頼の母、松下禅尼が寄進したものであろうと言われています。
松下禅尼といえば徒然草のなかにも登場してくることで有名です。
障子の破れをその箇所だけ切り取って張り替える禅尼を見て、兄の義景が「一度に全部張り替えたらいいのに。これでは斑になって見苦しかろう。」という言葉に、「何によらず、物は破損したところだけを修理して用いるものだということを若い人に見習わせて注意させるためです。」という教訓を残してくれました。
杉や檜の植林には下草が生えず、常に暗い感じが伴いますが、そんなところにも陽の光が通り、林立した木々の幹に斜光が反射して輝いており、そんなイメージが払拭されました。道をスクリーンにして木々の影が写し出され、町石にも光のスポットが当たりメイクアップされた様子に、松下禅尼も微笑んでいることでしょう。
普段は足早に過ぎるポイントですが、今日に限っては意識的にゆっくり歩きたい気分に満たされていました。
大門から見た朝の景色、ミツマタの広がり、山桜の花吹雪、ミヤマカタバミの可愛らしさ、ショウジョウバカマの彩り、日溜まりの神田集落、サンシュユの見事さ 杉林の輝きなど、今日の町石道を思い出しながら、元気よく最後の下り坂を駆け下りました。
笹田義美先生のプロフィール
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世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
- 著者
- 笹田 義美
- 定価
- 2,800円(税込)
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