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ウォーキング随筆紀行高野山町石道「啓蟄の頃・町石道は日ごとに春めいて」

啓蟄の頃 町石道は日ごとに春めいて

啓蟄の頃 町石道は日ごとに春めいて

啓蟄(三月七日頃)

地下の虫も冬ごもりしていた穴から現れる頃という意味。柳の若芽が芽吹き、蕗のとうの花が咲く季節
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冬ごもりの虫たちがはい出てくる頃、私の歩きの虫もウズウズしてきました。

この頃になると、春の気配に身体も解れてくるのか、町石道が私を呼んでいるように思えます。

桜の開花宣言が伝えられ、雛祭りなどの行事が執り行われると、いっそう春が感じられます。立春の頃が「暦の上の春」、雨水の頃を「光の春」とするなら、啓蟄の頃は気温の上でも明るさにおいても「名実ともに春」となり、一雨ごとに春本番が近づいてくるのがわかります。

三寒四温の言葉通り、冬を思わせる寒い日があり、高野山に雪を降らせたあと、一転してポカポカ陽気の暖かい週末が訪れました。

慈尊院のウメ、ツバキの花に迎えられ、季節の花に春を感じながらの出発となりました。ここから少し行くと「おしょぶ池」と呼ばれる伝説の池に出ます。

昔、この地におしょぶという、裁縫の上手な娘がいました。ある日、おしょぶは近くの勝利寺へお参りをしようとして池の堤を歩いていると、向こう岸で、錦の帯がキラキラ光り、それが水に映って大変美しく見えたのです。その美しさに魅せられたおしょぶは、夢中で走り寄ろうとして謝って池に落ち、そのまま沈んでしまいました。錦の帯はおしょぶに恋心を抱く大蛇の化身であったとか。

裁縫が上手だったおしょぶにあやかるため、村人はそこに小さな木の鳥居を建ててその霊を慰め、後々まで針供養をしてきたといわれます。

そのおしょぶ池の堤に立ってみると、池の面に勝利寺が上下対象になってきれいに写し込まれていました。おしょぶが見た錦の帯はひょっとすると勝利寺の写し姿だったのかもしれません。

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朝早くスタートしたこともあり、歩き始めの頃には霜が降りていました。穏やかな春の一日になりそうです。

春の陽気を感じとり、ヒメオドリコソウ(姫踊子草)が野山一体に芽を出し、赤みがかった緑の葉っぱからはピンクの蕾が突き出ていました。かたまってモコモコと生え出す姿は、その名のように躍り出すという表現がぴったりです。

そのヒメオドリコソウに霜がかかり、地面に白い輪郭の突起が幾つもできていて楽しい写真が撮れました。

百六十三町石近くの畑の中にもヒメオドリコソウが群をなして生えており、斜面を利用して町石と重ねて撮ることができました。ファインダーを覗くと、先ほどの霜をかぶったものとは違って、笠をかぶった小人の群が、いかにも町石に向かって足下から春を告げているように写っていました。

ヒメオドリコソウはこれから至る所で見かけることになるでしょう。

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今日、私が写真に撮ろうとねらっていたのはフキノトウ(蕗の薹)です。

昨年、見かけたところで探してみたのですが、見つけることができませんでした。春を呼ぶさきがけの草として定番となっているだけに、何とか写真に収めたかったのですが、残念でした。

ユキヤナギ(雪柳)が先週より大きく膨らんでいるのを確認して先を急ぎました。

柿畑を通り過ぎ、雨引山の石ころ道を通過して百五十二町石付近の杉林にさしかかったとき、突然、携帯電話のコール音が鳴りました。最近はこんな山の中でも話ができるのですからずいぶん便利になったものです。もう少し山の中に入り込むと「圏外」の表示が出てほとんど通じないのですが、六本杉や展望台のような山の切れ目からだと通話できます。あまり携帯電話を持つのは好きではないのですが、山の中を一人で歩く私のことを心配する妻に無理やり持たされているというのが真相です。

思わぬところで鳴った友からの電話に話し込みながら、ふと足元を見ると、なんとフキノトウがひとつポツンと芽吹いているではありませんか。電話が鳴らなかったら見過ごすところでした。まるでフキノトウから届いたメッセージのような気がして電話を切りました。

やっと巡り会えたフキノトウに心躍らせてシャッターを切りました。落ち着いたところで改めて周りを見回しました。というのは、一つ見つかると、大抵その周辺に幾つかは見つかるものです。しかし、これ以外は見あたりませんでした。よけいにその電話が嬉しく感じられたものです。

次の課題は、そのフキノトウが、確かに町石道にあるフキノトウだ、という写し方ができるかどうかです。一つしかないフキノトウをいろんな角度から撮りました。山の中にひとりいて、夢中で過ごす楽しい時間です。

出発してからウメ、ツバキ、ヒメオドリコソウ、ユキヤナギ、フキノトウなど、着実に春の証を写真に収めながら歩みを続けました。

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啓蟄といえば、冬の虫が這い出す頃を言うのですが、それを写そうにも肝心の虫がなかなか見つからず苦労しました。しかし、新芽の方は着実に吹き出して来ており、これから日を追って一気に春めいて来ることでしょう。

そんなことを考えているとき、春から私に思わぬ動物のプレゼントがありました。

百四十三町石を過ぎ、何気なく草むらに目をやったとき、白いタンポポの綿毛のようなものを目にしました。よく見るとショウジョウバカマが二輪、寄り添うように咲いていました。ショウジョウ(猩々)といえば、架空の動物なのですが、啓蟄の頃、暖かな陽気にほだされて春本番を待ちきれない、あわてものの猩々が地中から顔を覗かせたのでしょう。

二ツ鳥居近くの早咲きのツバキが満開となっており、枯れ葉に混じって、まき散らしたかのように上を向いた花びらが降り敷いていました。

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展望台で休憩して間食をとったのですが、天野の里から吹き上げてくる風が冷たく、そそくさとその場を後にしました。振り返って見上げると、青空の中に二つの鳥居が映えて立っているのが印象的でした。

雲一つない天候のもと、杉林を通過した陽の光が木々に反射し、その影が町石道に映って、きれいなまだら模様を描いていました。

体が温もり、爽やかな空気につつまれて快調な歩みを続けました。

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百七町石から少し向こうの日当たりの良い所で、チョウチョが二匹戯れるように上空に飛びあがるのを目にし、カメラを向けたのですが動きが早すぎてとらえることができません。クヌギの丸太に止まっているのを見付け、かろうじて生き物をカメラに収めることができました。啓蟄の頃にふさわしいものを撮れたという実感を味わいました。

一つ一つの石を写真に収めながら、矢立に着いたときはちょうど昼時となっており、いつもの茶店で休憩しました。他にも二組のハイキング客が休憩しており、どの人も上気した顔にうっすらと汗をにじませ、満足そうに名物のやき餅を食べていました。ちなみにここのやき餅の値段の方は一個百円となっています。

この茶店近くの高野山道路沿いに六十町石があります。高野山道路が有料の頃、ここに矢立料金所がありました。花坂・高野山・細川・美里方面の分岐点となっており、地理的にも一つの区切りになっています。町石道にとっても、ここから大門までが残りの三分の一となっており、一息入れたあと、最後の仕上げのスタート地点になっているのです。

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この章では、ここから大門までの最終コースを大まかに紹介します。

六十町石の建つ高野山道路を横切り、六地蔵のある五十九町石を通過して、五十八町石から先は両側が笹の茂った砂利道の上り坂となります。百二十町石から起伏の少ない道だったことと、矢立でしばらく休憩したことが重なって、この上り道が思った以上にきつく感じられます。

しかし、それもあまり長く続かず、弘法大師が袈裟をかけて休憩したという「袈裟掛け石」のある五十五町石付近からまた平坦な感じになり、呼吸も落ち着きます。

弘法大師の母親が結界を越えて高野山に足を踏み入れた途端、落雷とともに落ちてきた岩を大師が両手で支えて母親を護ったという言い伝えの「押し上げ石」の下を通り、杉の林が続く道を山頂に向けて進みます。途中には今までになかったような杉の大木を目にすることで、高野山に近づいている感じを強くします。

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この辺りまで来ると、日陰には先日降った雪が残っており、矢立から先は気象条件が変わることを実感しました。

再び、高野山道路と交差する四十町石の地点を横切って登り道を取ると展望台にたどり着きます。天気のいいときは、ここから遠く大阪湾の方向が見渡せます。上の梁には、お大師さんの肖像画も掲げられています。

軽く休憩した後、この展望台を降りきった道の向かい側に三十七町石が見えます。実は三十九町石、三十八町石は展望台の下を通る道路沿いにあるので、展望台へのコースを取ると、この二つの町石は目に触れないことになるのです。

三十六町石と四里石のポイントを通過し、三十三町石付近まで来ると紀伊山地の山々の重なりが見えます。

そして、二十七町石付近には「鏡石」と呼ばれる平らな岩があります。ここまで来るとかすかに水の流れる音が聞こえ、川が近いことを知らされます。二十六町石、二十五町石がその鳴子川の流れに沿うように建っています。川べりには丸太を組んだ休憩所も設置されています。

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山間に渡された素朴な木の橋を幾つか渡り、道は着実に大門に近づいていきます。その橋を渡ったところに、背丈が腰より低い、小さな二十一町石がかわいく建っています。その頭を手で撫でて通り過ぎ、苔むした大木がその前に横たわっている十九町石を見ながら一気に十二町石まで辿り着きます。ここから大門までの四町の道のりが最後の難関となります。

北条時宗が寄進した十町石を左に見て、町石道にある最後の九町石を写真に撮る頃は、息も上がり気味になっており、ただ足元だけを見ながら歩みました。そんな足元にフキノトウが二つ並んで芽を出しているのが目に飛び込んできました。しかも、おあつらえ向きに雪が近くにあり、申し分ない状況になっており、今日のラッキーを思いました、欲を言えば雪をかぶった状態で、その中から顔を覗かせていてくれたら申し分ないのですが、欲を言ったらきりがありません。

それを写真に収め、その場を後にしたのですが雪をかぶったフキノトオウがどうしても撮りたくて、もう一度戻ってきました。手の届く範囲に雪があるのにそれを写真を撮れないのが何とも残念に思われ、「やらせ」を企んだのが上の写真です。

そばの雪を手にとって、フキノトウにかぶせました。啓蟄の頃だけに、遊びの虫が出てきたとお許しください。

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息せき切って登りきった途端、大門の勇姿が目に飛び込んできます。いつもながら歩いた疲れがいっぺんに吹っ飛ぶような気がする瞬間です。

たっぷり一日掛けて春の町石道を満喫しました。

四季の高野山町石道の動画を見る

笹田義美氏

笹田義美先生のプロフィール

  • 和歌山県に生まれる。
  • 和歌山大学教育学部卒業後、和歌山県立箕島高校、伊都高校、橋本高校の教諭に就く。
  • 和歌山県教育委員会学校教育課の指導主事に着任。
  • 和歌山県立橋本高校、紀北工業高校の教頭職に就く。
  • 「紀の川散歩道」を発刊
  • 和歌山県教育研修センター副所長に就く。
  • 伊都地方教育事務所長に就く。
  • 「四季の高野山町石道」を発刊。
  • 和歌山県立紀の川高校の校長に就く。
  • 和歌山県立紀の川高校の校長退職。
  • 現在に至る。

販売のご案内

世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
著者
笹田 義美
定価
2,800円(税込)
お問い合わせ
TEL. 073-435-5651