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ウォーキング随筆紀行高野山町石道「雨水の頃・青木の実が赤く熟れて」

雨水の頃 青木の実が赤く熟れて

雨水の頃 青木の実が赤く熟れて

雨水(二月二十日頃)

冬の氷水が陽気に溶け天に昇り、雨水となって下るの意。春一番が吹き、九州南部ではうぐいすの鳴き声が聞こえ始める。
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立春の頃、町石道に残っていた雪もすっかり解け去り、それが大地に染み込んで山が水を含み、春本番に備えて空気がみずみずしさを増してきました。 慈尊院の階段下から多宝塔を見上げると、隣にある遅咲きの赤いウメの花がほころんでおり、塔の屋根にオーバーラップして見えました。

杉花粉も今を盛りと飛び交っているようで、職場でも鼻をグシュグシュ言わせている人が目立つ頃となってきました。幸い私は花粉症ではないので、山道を歩いても何の影響もありません。

山崎の里への分岐点となる百五十六町石辺りまで来て、何やら微かにいい香りがしたので辺りを見まわすと、切り出されたヒノキの木が積まれていました。切りたてらしく、その切り口から漂ってくるのでした。ヒノキ風呂や民芸品など、芳香のするヒノキの木は至る所で活用されています。

この頃、ヒノキの毬果もたくさん落ちており、これを集めて芯を抜き、乾かしたものを袋に詰めて枕にするといい香りがしてよく眠れるそうです。ダニが寄ってこないとも聞きました。

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雨引山に続く百五十四町石の後方には赤みがかった木製の鳥居があります。毎日、紀の川沿いから見上げている雨引山ですが、頂上まで訪れる機会もなく今に至っています。機会を見つけてゆっくり頂上に登ってみようと思っています。

日の当たりにくい斜面に、上部が欠けた原石と大正期の再建石が並んで建っており、その足下にはシャガの葉が群生しています。この辺りには石ころが多く、歩きにくい道になっています。雨が降るたびに雨水の流れ道となり、土砂が流されて石ころだらけの道になるものと思われます。その為でしょうか、この付近の町石は、雨水の流れから避難するかのように小高いところに建てられています。

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陽射しは随分明るくなってきたものの、春の芽吹きには今少し時間がかかりそうです。枯れた草木の中でシュロの木が緑色の切れ込んだ葉を付けています。特に、百三十九町石の前方や百十八町石に至る道沿い、六十五町石周辺のシュロの木が印象的です。

よく見ると町石道のあちらこちらにシュロの木が生えており、冬枯れの頃にも青々とした大きな葉を拡げています。シュロの木からホウキや綱、民芸品などを作るために紀伊山地に植えたと聞いています。その名残を今に残していると思われます。

百三十八町石の足下近くをよく見るとショウジョウバカマの葉、つまりハカマの部分が転々と地表にこびりつくように緑の葉を八方に伸ばしていました。ショウジョウバカマは日当たりの良いところに生えるというイメージで捉えていただけに、ここに生えているのが意外でした。どんな様子で咲くのか今から楽しみです。

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六本杉を通過し、道が平坦になって辺りを見回す余裕が出来てきたとき、目に飛び込んできたのがアオキ(青木)の赤い実です。

百三十三町石あたりで道が大きく右にカーブし、いよいよ二ツ鳥居へ向けて進もうという地点にさしかかったとき、周りから浮き出るように青々とした木の集団があり、その枝に赤い実が固まって成っていました。

下草が冬枯れて、辺りが色を失っている中で、アオキの緑と赤い実が一際鮮やかに目に映りました。先週、雪の積もった中を歩いたときも成っていたのでしょうが先を急ぐあまり気が付きませんでした。白い雪を被った中だともっと赤い実が引き立ったことでしょう。それを思うと見落としたのが残念です。この様子を写真に写すことを来年の課題として記憶しておきます。実の熟する時期を知っておけば今度は見落とすこともないでしょう。日当たりの関係でしょうか、百二十四町石付近では、まだ実が青く、葉に隠れていて、あまり目立ちませんでした。

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二ツ鳥居展望台の近くにある椿の木は、先週より多く花を咲かせており、春をぐっと引き寄せたように感じられました。 展望台では、遠くから来た人らしい二人連れが天野の里を見下ろしながら昼食を取っていました。これからの季節、この道にも多くの人が訪れることでしょう。

近くでは、二ツ鳥居の巨大な石が羽根を広げたように建っており、かなりの威圧感があります。近くに天野の里を絵入り地図で示した案内板があり、名所旧跡を紹介しています。ここから八町坂を下っていけば三十分ほどで天野の里にたどり着きます。そこには朱塗りの太鼓橋で有名な丹生都比売神社があり、歴史ゆかしい山間の別天地のような様相を呈しています。

天野神社に車を止め、そこから六本杉、二ツ鳥居を巡った後、天野の里を散策するのがお奨めのハイキングコースです。

二人の先客が楽しそうに話し込んでいたので、展望台では休憩をとらず先を急ぎました。あと、十町も行けば神田地蔵堂に出ます。ここから神田の集落を見下ろしながら昼食を取ることに決めました。

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前章では、慈尊院から二ツ鳥居までの六十町分を紹介しましたので、この章では二つ鳥居から矢立までの六十町の概略を紹介します。

この間は、山の尾根沿いの道となっており、起伏が少なく、歩きやすいコースとなっています。 二ツ鳥居からしばらくの間、わずかながら下り道になります。右手斜面からころがり落ちた石ころが多く、足下に注意を払いながら少し行くと、ここの左手斜面に、先ほど紹介したシュロの木の固まりがあります。木洩れ日が当たって逆光に透けて見える色合いには独特の趣があります。

この先には、その昔、白い蛇が住んでいたという「白蛇の岩」があって、大きな岩の前には木製の鳥居が建てられています。この鳥居は、十年に一回の割で取り替えられるとかで、通りがかったときには、まさに取り替えられた古い鳥居が隣に横たえて置かれていました。

百十五町石を右手に見て通過した頃から紀伊高原ゴルフ場が姿を現します。突然山中にゴルフ場が現れるのが驚きです。その途中に池があり、これが応其上人が造ったと言われる「応其池」です。 ゴルフ場が切れたところに神田地蔵堂があり、眼下に神田の集落が見渡せ、山あいに田圃が開けています。二ツ鳥居から十町の距離にあります。

地蔵堂のまわりには芝生が植えられており、ここでリュックを下ろして昼食をとることにしました。日当たりもよく、空腹なうえに咽も渇いており、食べたおにぎりが身体にしみ込むように感じられました。 エネルギーを補充して、再び先を急ぎます。

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二里石と百八町石が並ぶ地点を通過し、百七町石までくるとその先で山が切れており、急に明るく感じられます。

丘の上にある百五町石を見上げながら通り過ぎる頃から再び雑木林の道となります。道は落ち葉で敷き詰められていて、見上げると細い木々の連なりが空に張り付いていました。

九十五町石にきて紀伊高原が再び姿を現します。何と広いゴルフ場なんでしょう。

下輪に台の付いた九十二町石、細長い感じの九十一町石を通過し九十町石まで来ると、ここで道が二つに分かれていますが、別に標識は出ていません。右にコースをとるのが正解なのですが、最初歩いたとき、左へ行ってしまって引き返した記憶が蘇ってきました。ご承知のように町石道には百メートル毎に町石が建っています。たとえコースをそれても町石が見あたらないことで、すぐに道を間違えたことに気付きます。

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まもなく道は笠木峠にさしかかります。

この辺り一体は、どこからか水が湧き出て、じめじめした独特の空間となっています。八十六町石の向こうで道は上古沢方向と矢立方向に大きく別れます。 八十三町石を過ぎたころから高い岩場となっており、右手に屏風のような大きな岩が広がっていて威圧感があります。ここを足早に通り過ぎ、八十町石の向こうで鋭角的に右に曲がります。 曲がり角の切り株に腰を下ろし、少し休憩して水分を補給しました。

七十七町石から五十五町石くらいまでは再び雑木林が続きます。もう少しすると新芽に彩られた綺麗な道となることでしょう。

七十四町石付近から道には松葉が多く落ちていて、足の裏に伝わる感触が細かくなってきます。見上げると赤松の木が連なっており、これまで見かけた杉やヒノキの林と違って、節が多くカサカサした感じの赤っぽい枝が横に突き出た感じで立ち並んでいます。林下にシダの葉が群生しているのもこの付近の特徴となっています。

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三里石と七十二町石が並んで建つ地点を通り過ぎ、六十という町数を目にした頃から高野山道路を通る車の音が近くに感じられます。

やがて高野山道路を下に見ながら歩く柵の付いたところに来ると矢立の分岐点に辿り着くのは時間の問題です。赤い帽子をかぶった「見守り地蔵」を過ぎると六十一町石が見え、その向こうに高野山道路が見えます。

そして、六十町石が道路沿いに建っています。

二ツ鳥居の百二十町石から矢立の六十町石まで、中の三分の一の道のりを休憩せずに歩くと一時間半くらいで辿り着きます。

時間のない時は、ここから細川駅への帰り道をとります。今日は、翌日が休日ということもあって、気分的にも余裕があり、高野山大門への最終コースをとりました。このコースの概略は次の章で紹介したいと思います。

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夕刻が近づいており、西日の当たる石が輝いて見えました。

四十七町石の周辺にもアオキの実が赤く色づいており、町石と合わせ撮りしておきました。高野山展望台についた頃は少し寒く感じられ、休憩せずに大門を目指しました。

特に、川沿いの二十六、二十五町石付近は、他より温度が低く、ここにだけ雪が残っていました。

最後の上り坂にさしかかったときには日が西に傾き、山々の連なりが夕日に霞んでいました。

夕日に照らし出されて大門が輝いており、東の空には澄んだ月も出ていました。

ライトアップされた根本大塔も夕空に浮かび上がり素敵でした。

たっぷり町石道に浸り込んだ一日でした。

四季の高野山町石道の動画を見る

笹田義美氏

笹田義美先生のプロフィール

  • 和歌山県に生まれる。
  • 和歌山大学教育学部卒業後、和歌山県立箕島高校、伊都高校、橋本高校の教諭に就く。
  • 和歌山県教育委員会学校教育課の指導主事に着任。
  • 和歌山県立橋本高校、紀北工業高校の教頭職に就く。
  • 「紀の川散歩道」を発刊
  • 和歌山県教育研修センター副所長に就く。
  • 伊都地方教育事務所長に就く。
  • 「四季の高野山町石道」を発刊。
  • 和歌山県立紀の川高校の校長に就く。
  • 和歌山県立紀の川高校の校長退職。
  • 現在に至る。

販売のご案内

世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
著者
笹田 義美
定価
2,800円(税込)
お問い合わせ
TEL. 073-435-5651