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ウォーキング随筆紀行高野山町石道「立春の頃・春の雪に心ときめかせ」

春の章初春の町石道 二月

極寒の季節ではあるが、伸びてくる日脚が春の訪れを告げています。
この春の光に誘われて、寒風のなかに梅がほころび始めます。

初春、二月の別名には、如月(きさらぎ)麗月(れいげつ)、初花月、梅見月などがあります。 如月は、衣更着、すなわち、寒さを防ぐために、着物を重ねて着るというところから、麗月は、凍てつくような夜空に、月がくっきりと美しく映えることから、また、初花月は、かつて、梅を年の初めに咲く花としたことから名付けられました。二月には、年を越して咲き続けてきた寒椿や水仙とともに、梅が花をほころばせはじめ、春を告げる鶯の初音も、各地で聞かれるようになります。日毎に伸びてくる日脚が春を予感させますが、二月の日本列島はまだ厳しい寒さにつつまれています。

立春の頃 春の雪に心ときめかせ

立春の頃 春の雪に心ときめかせ

立春(二月四日頃)

まだ寒さ厳しい時期ではあるが、日脚は徐々にのび、梅もほころんで春の気配が感じられる頃となる。
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「春は名のみの風の寒さよ ・・・・・ 」

早春賦の歌詞を口ずさみながら二月の町石道を登りました。

風の冷たさを残しながらも、着実に日差しは明るく、そして日照時間も長くなってきました。春が実感されるのもそんなに遠くはないでしょう。

梅の木のセンサーは早くも春をキャッチしたかのように花をほころばせ始めました。

ある晴れた土曜日の午後、明るい光が私を町石道に誘ってくれているように感じられ、足を運びました。

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慈尊院山門から春の光に包まれた多宝塔が浮きあがって見えていました。慈尊院は女人高野として名高いばかりでなく、安産を祈願して乳型絵馬を奉納する寺としても知られています。

有吉佐和子の小説「紀ノ川」はストーリーが慈尊院から始まっています。じつは、高野山町石道もここから始まるのです。

慈尊院から丹生管省符神社に続く石段の途中右手に百八十町石があります。ここを起点として高野山まで六里の道のりに、一町(約一〇九メートル)毎に五輪の形をした石の卒塔婆が建っており、無言で私たちを導いてくれています。

高野山に参詣することで弥勒浄土へ参入できるという願いが町石卒塔婆の建立となって実現しました。この意味において高野山町石は単なる距離を表示する標石とは異なり、極楽浄土への願いを込めながら登る人々にとっては信仰の対象そのものなのです。

四季折々、機会ある毎に登りますが、その都度味わい深いものを感じています。七百有余年の歴史と祈りが染み込んだ町石がたまらない魅力となって私たちに迫ってきます。

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百十九段の石段を登り詰めると丹生管省符神社に出ます。

この神社は高野山寺領の荘園の一つである管省符荘の氏神として、丹生七社明神と呼ばれていましたが、荘園制の消滅とともに管省符省はなくなりました。

ここの西にある坂道を下ったところに百七十九町石があります。

この百七十九町石と百八十町石は割と近距離にありますが、これは丹生管省符神社が現在の神楽尾山に移転されたとき、百八十町石も一緒に移された為であろうと思われます。このように石の卒塔婆も七百年という長い間には倒れたり、折れたり、移転されたり、様々な事に遭遇しながら今に至っているのです。

慈尊院から大門に至る百八十基の町石はそれぞれに個性的で味わい深いものを持っています。季節の移ろいにあわせ、その時々の姿に私の体験を重ね、写真を添えながら案内させていただきます。

百七十八町石に向かう途中、右手の小高いところに「勝利寺」と「紙遊苑」が見えます。勝利寺の仁王門には草履が幾つもぶら下げられています。足の悪い人やお年寄りが、「足が良くなりますように」「何時までも足が丈夫でありますように」と願いを込めて結びつけたものです。

また、紙遊苑はふるさと創生資金を投入し、勝利寺の庫裡をリフォームして造った建物です。ここでは古沢紙の伝統を伝えており、紙すき体験が出来る施設となっています。九月になると紙の材料になるトロロアオイが黄色い花を咲かせます。ここを訪れた人には種を無料で分けてくれるそうです。

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しばらく行くと道沿いの一段高くなった柿畑の中に百七十八町石があります。

目線より高い位置にあるので思わず見落としてしまいます。およそ一〇〇メートル毎に出現する町石は、実際に歩いてみると頻繁に出くわすような感じで建っています。少し考え事をしたり、他に気を取られていると、つい通り過ぎてしまいます。

歩く度に町石は必ず写真に収めるようにしているのですが、今までにも思わず通り過ぎてしまって、あわてて舞い戻ることもしばしばありました。

九度山町は富有柿の全国的な特産地として有名です。百八十町石を出発してから百六十町石までの二十町の間には、その多くが柿畑の中にあり、九度山町の町石風景の特徴をなしています。まだ柿の新芽は出ていませんが、その頃になると山全体が新緑に彩られ、春の到来を告げます。この時期、明るい陽射しの中で青空をバックにして春を待つ独特の枝振りが印象的でした。

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里山を縫うように通っている町石道は、季節毎に趣を変えて私たちの目を楽しませてくれます。また、この二十町間の町石道は私のお気に入りの散歩道にもなっており、幾度となく辿って行くうちに、すっかり生活に溶け込み、細かな味わいも判ってきました。道端に咲く野の草花が語りかけてくるように感じられるときもあります。

ましてや、その昔、極楽浄土への導きを求めて歩いた人たちにとっては大きな心の支えとなって存在したことでしょう。

自分の好きな道を見付け、機会ある毎に歩むことは思った以上に大切なことであるような気がします。

百七十七、百七十六、百七十五町石と柿畑の中にある石を写真に収めながら歩みを進めると新池に出ます。ここから雨引山の方向を見ると、パラボラアンテナを取り付け、紅白に塗り分けられた鉄塔が見えます。この鉄塔は紀の川沿いからもよく見え、シンボル的な存在になっています。

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新池の上を通る橋と町石道が交差する石垣の上に百七十三町石がまるで道行く人を見下ろすかのように建っています。和泉山脈をバックにして空の中に浮き出るような構図でこの町石の写真を撮るのが好きです。近くにツタが絡まった大きなシイ(椎)の木があったり、町石の足下にススキが生えていたり、四季それぞれに独特の趣を醸し出しています。

竹藪に沿って百七十二町石があり、陽の光を受けて輝く竹を背景にした姿がさわやかに感じられました。手前には六本杉を示す標識があります。ここから柿畑を縫い、雨引山のふもとを通過して六本杉にいたる、およそ六キロの間は標高にして約四百五十メートルの上り坂となっており、ここらあたりからジットリと汗ばんできます。

百六十九町石手前から山が切れて日が当たり、汗が噴き出て、息も上がってきます。この辺りは小さな溝があって、いつも水が流れており、春はキンポウゲ、夏はヒルガオ、秋はミゾソバなど四季の花が楽しめます。今日もオオイヌノフグリが空の青さを細かく地上にまき散らしたように咲いていました。

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あえぎながら百六十八町石近くまで来ると、柿畑の端にある大きなウメの木が花を付けていました。そのふくよかな香りに春のさきがけを味わうことができました。

下を向いたまま坂道を上り、ふと見上げると眼下に紀の川の流れが広がっており、その眺めが良くて、しばし立ち止まり、汗を拭いました。ここからしばらくは川の流れを視野に入れながら歩くこととなります。 百六十三町石付近までは橋本方面の流れが見え、百六十二町石を越す頃からは、かつらぎ方面の流れが見え出します。このように川の流れが見える景色が上り坂のつらさを癒してくれます。

百六十二町石近くでネコヤナギが銀色の穂をふくらませ、暖かそうな蕾にくるまれた小さな春をいくつも枝に付けているように感じられ、明るい気分になりました。

それに加え、さらに予期せぬものが私を待ち受けてくれていたのです。

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春を先取りしたような好天に、汗をかきながらここまで上ってきた私の目に飛び込んできたものは「雪」でした。

日の当たらない南斜面には、まだ雪が残っていたのです。黒い土の残る白いまだらな斑点が今までとは全く違った景色を繰り広げていました。そう言えば今週のはじめ「寒のもどり」があって、高野山に雪を降らせたとは聞いていたのですが、この地域にまで及んでいて、まさかそれが今まで残っていようとは思ってもみませんでした。この雪も今日の暖かさできっと解けてしまうことでしょう。

思わぬ雪道に気持ちが高ぶりました。樹間からこぼれた陽の光が雪の白さをいっそう引き立てています。何とか春の気運を感じさせる雪景色の写真にしたいと思い、考えた末、できるだけ明るい陽射しと空の青さを一緒の画面に写し込もうと苦心しました。

午後の陽光が思わぬ効果をプレゼントしてくれたのです。何時もこの地点を通過するときは朝のうちが多く、そのころは山陰になっているだけに、ラッキーなものを感じました。

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雑木林にある百五十一町石周辺は、裸の木々が雪模様に趣を添えていましたし、百四十九町石には、樹間をぬって通り抜けた陽光が町石に跳ね返って輝いました。残雪の贈り物をいただいて、夢中になってシャッターを切りました。

百五十六町石からは柿畑や紀の川の流れと別れをつげ、雨引山の下を経由して六本杉に向かいます。百四十八町石を少し行くと左手に広い場所があり、そこに山石で盛り上げた高さ五十センチくらいのちいさな地蔵仏があります。石地蔵に雪というのも絶好の被写体となります。この巡り会いに感謝しながら写真に収めました。

百四十三町石にはまともに西日が当たり、白く輝いていましたし、木の陰が道のスクリーンにくっきり縞模様を描いていました。

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六本杉までは石がゴロゴロころがっている道なのですが、そこに雪が積もると一変します。白い山道が川の流れのようになって延びており、道々に点在する町石が廻りの景色を従えるかように威厳に満ちて建つ姿が印象的でした。

特に六本杉に続く階段状の石道が浄土に続く階段のように象徴的に上方へと伸びていました。

六本杉からあとは、尾根づたいの歩きやすい道となります。日が落ちてきて、せかされるような気持ちで道を急ぎました。

昼過ぎから歩いただけに時間的な制約があり、この日は二ツ鳥居の展望台から折り返しました。

天野神社を見下ろす鳥居近くには百二十町石がありますから、スタートからここまでが全体の三分の一となります。

町石が道しるべとなり、無言の励ましとなって建っているので、はじめての人でも道に迷うことなしに歩くことができ、快適な古道となっています。

思わぬ「春の雪」に心躍らせながら、楽しい歩きとなりました。

四季の高野山町石道の動画を見る

笹田義美氏

笹田義美先生のプロフィール

  • 和歌山県に生まれる。
  • 和歌山大学教育学部卒業後、和歌山県立箕島高校、伊都高校、橋本高校の教諭に就く。
  • 和歌山県教育委員会学校教育課の指導主事に着任。
  • 和歌山県立橋本高校、紀北工業高校の教頭職に就く。
  • 「紀の川散歩道」を発刊
  • 和歌山県教育研修センター副所長に就く。
  • 伊都地方教育事務所長に就く。
  • 「四季の高野山町石道」を発刊。
  • 和歌山県立紀の川高校の校長に就く。
  • 和歌山県立紀の川高校の校長退職。
  • 現在に至る。

販売のご案内

世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
著者
笹田 義美
定価
2,800円(税込)
お問い合わせ
TEL. 073-435-5651