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ウォーキング随筆紀行高野山町石道「はじめに ……とっておきの散歩道……」

はじめに ……とっておきの散歩道……

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私には、とっておきの散歩道があります。

その途中には紀の川の清流と紀伊山地の山裾があり、清涼な空気と流れに満たされ、四季の移り変わりを感じさせてくれる、すばらしい散歩道なのです。

家を出て、まずは紀の川沿いに道をとり、九度山橋を渡ったあと慈尊院へと向かいます。続いて、「町石道」と呼ばれる歴史の道をたどり、やがて展望台に到着します。そこで一息入れた後、紀の川の流れを見下ろしながら歩き、柿畑の中を通過してから、高野参詣大橋を渡って紀の川堤防を家路へと向かう二時間あまりのコースです。
慈尊院と言えば、弘法大師のご母堂をお祀りした寺であり、また有吉佐和子の小説「紀ノ川」の舞台ともなった由緒ある寺です。女人高野としても知られ、白装束に身を固めたお遍路さんも多く訪れます。

隣接した階段を登り詰めると、そこには丹生官省符神社が鎮座しています。

この階段途中に町石道の道標ともなる第百八十番目の町石卒塔婆が建っており、高野山への登り口となっているのです。

「町石道」は今をさかのぼること、およそ七百三十年前、鎌倉時代に高野山の表参道として拓かれた道であり、その道には一町(約百九メートル)毎に五輪の形をした花崗岩づくりの卒塔婆が建てられています。

時の天皇をはじめ、庶民に至るまで、極楽浄土に導かれるようにと祈りを込めて登った道なのです。時を刻み、苔むした石からは歴史の趣が漂ってきます。最近になって、町石道を世界遺産として残そうという機運も高まってきました。
それは歴史の道、祈りの道であると同時に思索の道でもあります。

弘法大師が母を訪ねて月に九度、この道を通って慈尊院に降りてきたことが九度山町の名の起こりであると聞いていますが、その間、二十四キロの道中で様々な想いを巡らせたと言われています。

「哲学の道」が西田幾太郎博士の思索の道であったように、弘法大師空海にとっては町石道が思索の道だったのです。それを思うと何故か道端の一木一草にその息吹が感じられて崇高なものに思えます。

慈尊院の百八十町石から展望台手前の一六六町石までの一五町あまりの上り坂を汗を掻きながら登るとき、身体の中に溜まったガスが汗とともに流れ出し、その後を清涼な空気が洗い清めてくれるような気がします。

この間は、九度山町の富有柿畑の中を縫うように道が通っているのです。

春は柿の葉が新緑に彩られ、山が萌葱色に染まりますし、秋には柿の実が色づいて季節を告げてくれます。

道端に目をやると、春にはアザミやタンポポ、夏にはツユクサ、秋には萩やミゾソバなどの花が咲き、冬には柿の枝が空に張り付くような切り絵模様を描きます。

途中には竹林やくぬぎ林などもあり、山肌の斜面をクズ(葛)の葉がびっしり覆い尽くすように広がっている風景も見られます。

また、蝶やトンボの昆虫たちが里山の雰囲気を醸し出してくれます。

汗だくになって展望台までたどり着くと、そこからは北の方角に和泉山脈が連なり、葛城山や金剛山が、南には紀伊山地の重なりがあって、高野山や国城山が望めます。

正面には橋本橋付近が霞んで見え、紀の川がゆったり蛇行して流れているのが一望できます。それに私の家も豆粒のように見えています。

展望台で汗を拭いながら下着を取り替え、下から吹き上げてくる心地よい風に身を包みながら一休みすると、徐々に満足感が広がってきます。
休憩後は紀の川の流れを眼下に見下ろしながら、満たされた気持ちで舗装された下り坂を進みます。そこは農道となっており、ほとんど人と出会いません。

しばらく行ってカーブを曲がると、今まで山肌で隠れていた景色がぱっと開け、万葉集で名高い妹山脊山方面の眺めが目に飛び込んできます。

往きは町石道、帰りは紀の川の眺めとともに歩を進めることになるわけです。

町石道で汗を出し、展望台で休憩した後、紀の川のすばらしい眺めの中を爽快な気分で歩く楽しみは何物にも代え難いものです。

機会あるごとに歩きますが、時にはカメラをもって四季の移り変わりを撮したり、ICレコーダーを片手に思いつくことを録音したり等々、いろんな楽しみ方を試みています。

手ぶらで歩くこともあれば、リュックに飲み物や食べ物をつめていくときもあります。朝早く歩くこともあれば、夕日を見ながら歩くときもあります。そのときの気分に任せて歩きますが、家に帰り着きシャワーを浴びると、心のしこりが解れてすっきりした気分になれる点が共通しています。

人それぞれに「とっておきの散歩道」を持つことをお薦めします。
この散歩道を歩むにつけて、町石道を高野山大門まで歩いてみたい、すべての町石を見てみたい、という気持ちが高まってきました。

二十四節気を通して歩いた四季の町石道を、写真を添えて紹介させていただきます

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四季の高野山町石道の動画を見る

笹田義美氏

笹田義美先生のプロフィール

  • 和歌山県に生まれる。
  • 和歌山大学教育学部卒業後、和歌山県立箕島高校、伊都高校、橋本高校の教諭に就く。
  • 和歌山県教育委員会学校教育課の指導主事に着任。
  • 和歌山県立橋本高校、紀北工業高校の教頭職に就く。
  • 「紀の川散歩道」を発刊
  • 和歌山県教育研修センター副所長に就く。
  • 伊都地方教育事務所長に就く。
  • 「四季の高野山町石道」を発刊。
  • 和歌山県立紀の川高校の校長に就く。
  • 和歌山県立紀の川高校の校長退職。
  • 現在に至る。

販売のご案内

世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
著者
笹田 義美
定価
2,800円(税込)
お問い合わせ
TEL. 073-435-5651