芒種の頃 ひとり町石道を歩み来て
芒種(六月六日頃)
稲や麦など芒(のぎ)のある穀物の種まきの時期
慈尊院の山門をくぐると、どこからともなく甘い香りが漂ってきました。
いったいどこから匂ってくるのでしょうか。そして、この時期、こんなにいい香りを放つ花は何なのでしょうか。
それがボダイジュ(菩提樹)の花であることが分かるのには少し時間を要しました。
多宝塔の隣にある推定樹齢二百五十年の菩提樹の木から黄色い花が垂れ下がるように咲いており、朝の院内いっぱいに芳香を放っていたのです。ボダイジュといえば、その実から数珠を作るとかで、お寺にとって似つかわしい木です。この花がこんなにいい匂いを届けてくれるとは知りませんでした。
梅雨のこの時期、代表的な花といえば、何といってもアジサイ(紫陽花)の花です。
慈尊院の百八十町石、高野山大門の六町石、つまり町石道の出発地点と到着地点の両方に共通して咲く花ということで、今日はまずその出発地点のアジサイの写真撮影を計画して家を出ました。赤みがかったアジサイが町石の足下及び隣の階段の片側に咲き始めていました。
そこへ菩提樹の花という、思わぬ差し入れがあり、大満足です。
そして、今日。私がもう一つねらっていた花があります。それはドクダミ(毒痛み)の花。
この花もアジサイ同様、湿っぽい日陰地に群れて咲く性質上、町石道のいろんな所に咲いています。花と縁のないような暗い地点にも咲いてくれるので写真好きな私にとってはありがたい花です。まずは官省符神社に続く階段でこの二つの花を写真に収めてから、上まで階段を登り、神社本殿の前を通って、百七十九町石へ続く下り坂に向かいました。
そこで足が止まりました。匂うのです。あのドクダミ特有の酸っぱい匂いが・・・・・。でもその周りに見あたりません。
匂いをたよりにあたりを捜してみると何と、神社の大型絵馬の後ろでドクダミが白い十字形の花びらを寄せ合ってびっしり咲いていたのです。
今朝は、ボダイジュ、ドクダミと、花に先駆けて匂いのプレゼントをいただける日のようです。喜びのスタートとなりました。
ドクダミの花は、上りはじめの道にたくさん咲いていましたが、山の中腹より上になると花が咲くまでには少し早いようです。
百五十四町石、百四十二町石、百十六町石、六十六町石など、いずれも暗い感じの場所にある町石なのですが、この近くにドクダミが群生して花芽を付けていました。来週にはきっと花を咲かせてくれることでしょう。
ドクダミは「十薬」という別名をもっています。この名前で知っている人も多いのではないでしょうか。十も薬効があるなんて、はたしてどんな効き目があるのでしょうか。
調べてみると。生葉を火にあぶり腫れ物に貼ったり、葉汁を虫さされに塗るとよく効くそうです。また、煎じて飲めば利尿効果があり、便通、高血圧予防、カイチュウ駆除など十薬の面目躍如たる効能が記されていました。
百五十九町石の暗い杉をぬけると、ホタルブクロがいっぱい咲いていました。今がピークです。幾つも連なった花が道からはみ出るように咲いており、それはあたかも町石道を照らす提灯のようでした。
小さな虫がフクロから這い出してきて飛び去るのを目撃しました。いったい花の中はどうなっているのでしょう。折れないように注意しながら、花の柄をひねって中を覗いてみました。
中には紫色の粉のようなものが付着しており、正面から見るとキキョウの花が連想されます。何か秘密を覗いたようなトキメキがありました。
町石道には花ばかりではなく、おいしいプレゼントもあります。キイチゴ(木苺)の実が一列に並んで枝にぶら下がっているのです。
モミジに似た葉っぱの隙間から黄色い顔を覗かせているのが可愛らしく、見つけると必ず写真に撮りたくなります。ただ、トゲがたくさんあり、不用意に手を出すとチクチクします。
これが甘酸っぱくておいしいのです。山道をのぼり、喉が渇いたときには、この酸っぱい味が何ともいえません。
写真に収めた後は胃の中に納めることになるのです。
六本杉を過ぎたところに、ササユリ(笹百合)が今にも咲きそうな雰囲気のつぼみを付けていました。そうです。ササユリも咲く頃なのです。
しかし、町石道ではチラホラとしか見かけませんでした。乱獲が祟ったのでしょうか。
四十五町石を過ぎたところで、一枚の黄色い四角な札が木にくくりつけられているのが目にとまりました。そこには 「心をあらい 心をみがく へんろ道」 と書かれていました。まさに、自分の心境を代弁してくれているかのような言葉です。
日々の仕事や人間関係にストレスを覚え、心を癒す術を模索していた私にとって、この町石道を歩き、自然に触れることで心が洗われていくのを感じていたからです。
汗とともに胸にたまったガスが抜けてゆき、新しいエネルギーが身体に満ちてくるのがわかります。
山道を歩くたびに、心が洗われ、磨かれていくのだ、という想いがこれからも私を町石道に向かわせることでしょう。
ここを少し行き、左に大きくカーブした地点に来ると四十四町石があります。
その足元まで近づいて上を見ると、小高い所にもう一基、別の町石が立っており、それにも四十四町石と刻まれています。
昭和四十七年十一月、大雨の後、地塊が流出したとき、草木の根に巻き付かれた原町石が見つかったそうです。およそ六十年後に土の中の眠りから醒めたのでした。
手前の町石は大正期、原石不明に伴い、原田海によって建て直されたものです。七百年の長い歴史のうちには様々な出来事が去来しましたが、町石とて例外ではなく、アクシデントから免れ得なかったのです
私にはどうしても写真に収めたい花が幾つかあります。そのうちの一つがホオ(朴)の花です。
先日、新聞に高野山南院のホオの花が咲き始めたと掲載されました。折良く高野山への出張があったので、その帰りに南院に立ち寄り、お願いしてその様子を見せていただきました。 お寺の奥様が、「二階の部屋から見るのが一番よろしいですよ。」と私をそこまで案内してくれ、障子を開け放って見せてくれました。
ホオにまつわる話をいろいろ教わりながら、淡黄色の大きな花をじっくり鑑賞させていただきました。
町石道で、このような角度からホオの木を見ることができるのは、高野山展望台を於いて他にありません。心躍らせてここまでやってきました。
この展望台からは、飯盛山や竜門山が眺望でき、遠く大阪湾まで見通せます。下には高野山道路が通っており、斜面からホオの木が生えていて、上からのぞき見ることできるのです。
しかし、どの木にも花は付いておらず、残念な気持ちにとらわれました。でも、今日は予期していなかった花がたくさん撮れたことですし、楽しみが来年まで残ったととらえるべきでしょうね。
二十六町石に近づくと川の流れの音が聞こえてきます。鳴子川です。このあたりで道と川が一番隣接しており、水音が心地よく響いていました。道も湿っぽくなり、足元が滑らないように注意しながら下を向いて歩いていると、梅に似た白くて小さな花が、花の形を残しながらいっぱい落ちているのに気付きました。
上を見ると新緑の葉が空をバックに生い茂っており、よく分かりません。目を凝らしてよく見ると、白い花がいっぱい花びらを下に向けて咲いていました。
最近、リュックの中に野山の木や草花の本を入れています。ここから少し行った川沿いに丸太造りのベンチがあり、休憩場所になっています。そこに座って調べてみました。
エゴの花。実がえごい味がするのでついた名だとか。名前も分かり、頭にインプットしてからそこを後にしました。
二十五町石付近にもたくさんエゴの花が落ちていました。名前も分かって、何か近しいものを感じ、今一度よく見てみると、花びらが全て上を向いて落ちているのです。きっと花の軸に重心があり、途中で一回転して落ちるのでしょう。
落ちてくる様子を実際に見たいという気持ちが湧いてきました。これだけ落ちているのだから、少し待てば見ることができるだろうと思い、首を天に仰向けて待つことにしました。
と、そのときです。スーと糸を引くような感じで目の前を一輪の花が通過して、音もなく地上に落ちました。そして。また一輪。まるで昼間に流れ星を見るような感じでした。
白く新鮮な落ち花が降り敷いた地面は綺麗でした。
そして、その落花の流れ星が次なる願いを私にかなえてくれたのです。 落ちた花の直ぐ隣の草に白い泡のようなものが付着していました。思い当たるものがあります。そう、あの天然記念物に指定されているモリアオガエルの卵なのです。
自然環境の変化に対応しにくく、最近あまり見かけなくなったこと、高野山に生息していること、普段は木の上に住んでいることなど、断片的な知識しか持っていない私ですが、こんなところにいるとは驚きでした。
そう言えば、先週ここを通りかかったとき、やけに蛙の鳴き声がするな、とは思っていたのですが、あれはモリアオガエルの鳴き声だったのでしょうか。
辺りを見回しても他に卵は見あたらず、ちょうど花が落ちたところだけに卵があるなんて、流れ花のおかげです。いい事ってあるものですね。 この日、町石道では誰にも出会いませんでした。ひとり町石道を歩み来て、花に心を洗われた一日となりました。
笹田義美先生のプロフィール
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世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
- 著者
- 笹田 義美
- 定価
- 2,800円(税込)
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