小満の頃 町石道の草花に誘われて
小満(五月二十一日頃)
万物が次第に成長して、一応の大きさに達してくる
週のはじめから降り続いた雨も昨日で止み、今日は朝から明るい日差しが差し込んで、私を山に招いてくれていました。
計画では、九度山展望台から、紀の川に朝日が昇るところを写真に収めることにしていたのですが、目を覚ました時は既に四時半をまわっており、日の出には間に合いませんでした。結局、この計画は次回に譲ることとなりました。
眠い目をこすりながら、リュックに着替えや食料を詰め込み、デジタルカメラを持って家を飛び出しました。
外気が眠気を吹き払い、徐々に気分が高まってきて、今日の山歩きを楽しむ気分も整ってきました。
慈尊院の百八十町石から東の空を見ると、朝靄の中に太陽がオレンジ色に丸く浮き上がって輝いていました。早速それを町石と慈尊院の屋根に重ね合わせて撮り、さい先の良いものを感じました。近くにある紫陽花の花にもたくさんつぼみが付いており、来週くらいにはいい具合に開花することでしょう。
スタートしてまもなく、百七十八町石付近の路上に、小さな星形の花がたくさん落ちているのを見つけ、足が止まりました。テイカカズラ(定家葛)の花でした。
少しねじれた花びらが、スクリューのようにくるくると回転しながら落ちてくる様が想像され、思わず笑みがこぼれました。一度目撃してみたいものです。きっと先日からの雨にうたれて落ちてきたのでしょう。
雨上がりの道は空気もしっとりしており、草花にも初夏の新鮮さが感じられました。
百七十町石あたりにさしかかったとき、プンと甘い香りがしたので、あたりを見回してみると、このテイカカズラが畑の柵に巻き付いて、たくさん花を咲かせていました。
匂いをお届けできないのが残念です。
次に私を迎えてくれたのは、ホタルブクロ(蛍袋)の花でした。一度はカメラに収めたいと願っていた花だけに胸がときめきました。
子どもがホタルをこの花の中にいれて遊んだところからこの名が付いたと言われるように、ホタルが飛び交う季節になると、提灯のような花びらを連ねて下向きに花を付けます。
百七十七町石を過ぎた道端に、朝露を吸って白く輝いていました。思った以上にたくさん咲いており、高ぶる気持ちを抑えながらシャッターを切りました。
咲き始めの頃の花にはいつもながら新鮮な気持ちにさせられます。白くて、ぽってりとした花がそこここに愛らしく咲いていました。
十町ばかり上り道を進むと、一週間たまった余分な水分が汗となってあふれ出てきます。背中にリュック、右手にカメラ、左手にタオルというのが私のスタイルなのですが、額をつたって汗がしたたり落ちてき、その熱気で眼鏡が曇って写真を撮るのに苦労します。少し暑い頃になると、蚊が多くなり、汗の臭いに寄ってきて、更に苦戦することとなります。左手に持ったタオルは、蚊を追いやったり、顔にかかるクモの巣を払う役目も担っているのです。
柿畑をぬって通る町石道を汗だくになって上り、百六十町石付近まで来たとき、ハハコグサ(母子草)がかたまって咲いているのに気がつきました。紀の川の河原では早春の頃見かけただけに、この時期、こんな所に群れて咲いているのが意外でした。
背の低い花だけに、百六十町石の下から地面に這いつくばって、見上げるアングルでカメラに収めました。
この草に何故、ハハコグサという名前が付けられたのか知りたくて、名前の由来を調べてみると、小さな花が寄り添って咲いている様が母と子の姿を連想させるから、とのことです。
九度山町にある町石は、柿畑の中に建っていることが多く、柿の木とともに季節の移ろいを伝えてくれます。
新緑の頃、萌葱色に山々を染めた柿の若葉も日増しにその色合いを濃くし、花の時期を通り越し、今では摘蕾も終えて秋の実りへの下準備も整ったようです。
薄暗い杉林を抜けて、百五十八町石あたりにさしかかると、急に右手方向の視界が開け、眼下にかつらぎ方面の紀の川の流れが見えます。三谷橋が小さくかかり、そのずっと向こうに妹背山が霞んでいました。
左手の林にはウツギ(空木)の花が咲き誇り、細かな白い花をびっしり枝につけて、道にはみ出しています。下から吹き上げくる川風が肌に心地よく、汗も引いて気分も爽快になってきました。
ウツギは、その幹が中空になっていることから「空木」という字を当てるそうです。
本当かな、と思って手近な茎を手折ってみると、やはりストローのような感じで穴が通っていました。
また、ウツギは別名をウノハナ(卯の花)としても知られています。卯月(うづき)の頃咲くからでしょう。「卯の花の匂う垣根に・・・・・」という歌詞を覚えている人も多いのではないでしょうか。
小満の頃、町石道の各所に咲いて目を楽しませてくれます。
山崎へ降りる道の分岐点にある百五十六町石付近から、悪路の山道がしばらく続き、雨引山へと向かいます。
ここへ来て、丸く赤い実の集団に出くわしました。
早いものです。先々週には、このあたり一面に咲いていたクサイチゴの白い五弁の花がもう赤い実に姿を変えて散りばめられているのでした。次に来たときは、きっとこの実も地面に落ちて無くなっていることでしょう。
次々と変わる主役に目が離せません。
テイカズラ、ウツギ、ホタルブクロ、シロツメクサと白い花を見続けながら山道を登ってきただけに、ツツジのピンクの花が一際鮮やかに感じられました。
既に下の方ではツツジはピークを越えており、山道を行くことで今一度春を味わい直せることをうれしく思います。標高差により花の咲く時期がずれることぐらいは知っていますが、それでも見終えた花に再会できるのは嬉しいものです。このことは山を歩く喜びの一つでもあります。
百五十町石を過ぎた頃からしばらくは平坦な道が続きます。ひとつの難所を越えた満足感に加え、汗も引いて、足取りも軽くなります。
百四十三町石あたりまで来て、再び足が止まりました。
白い穂のような花が立ち並んでおり、新しい花の発見にカメラ心が触発されました。帰ってから図鑑で調べてみると、その花の名はシライトソウ(白糸草)。
うまく命名したものだと思います。名前からして一度見てみたいものだと思わせるものがあります。
緑色の草の中で白く浮きあがる様を何とかうまく表現しようと思い、色々に角度をかえて写真に撮りました。十数枚撮りました。その中で一枚でも気に入ったものがあれば満足です。
さもなくば、写真を撮るチャンスは来年まで先送りとなるからです。まさに一期一会の心境です。
家に帰ってから、写り具合を確かめるという楽しみをカメラに詰め込み、更に歩みを続けました。
快調に歩みを進め、紀伊高原カントリークラブの横を通り、神田地蔵堂にさしかかりました。
その昔、滝口入道に心を寄せた横笛が天野の里に移り住み、この地蔵堂のところで待ち受けて恋文を託したと言われています。若くして亡くなった横笛を偲んで、天野の里には今も「横笛の恋塚」が残されています。
ここで黄色い花の一群れを見つけました。ニガナか、ジシバリかな、と思ってよく見るとミヤコグサ(都草)でした。
ミヤコグサといえば秀吉の側室、淀君が愛したので淀殿草とも呼ばれた花です。この蝶の形をした鮮黄色の花は絶世の美女、クレオパトラも愛したという話も残っているそうです。東西の美女に愛されたなんて羨ましい限りです。
ひょっとすると横笛も滝口入道を待ちながら、この花と戯れたかもしれませんね。
雑木林にさしかかると、俄然、緑一面の世界に引きずり込まれます。
瑞々しい若葉色から蒼々とした新緑に移ろうというこの時期、木々の葉の色合いが微妙に異なり、陽の光をうけて葉脈が透き通る木々の中に身を置くと、自分の身体までが緑色に染まるような錯覚にとらわれます。自然のエネルギーが風にのって運ばれ、吸った空気が肺の隅々までいき渡るようです。
それに加え、ウグイスの鳴き声が山間にこだまして、心地よさを一層高めてくれます。春のさきがけの頃には短くとぎれがちだった鳴き声も、この頃になると細く、長く響いて、なかなか上達したものだと感心させられます。
上を見たり、下を見たり、山の中に一人いても次々に繰り広げられる自然のドラマに我を忘れることもしばしばです。
鎌倉時代から七百年以上の月日を重ね、立ち続ける町石卒塔婆には、こんな空気がしっくり溶け込んでいるのです。
新緑の雑木林を抜け、笠木峠にさしかかりました。このあたりは水が湧き出ているうえに日当たりもよく、山中とは違った趣の空間となっています。
この日も山ツツジに加え、ニワゼキショウ、キンポウゲ、野アザミなどが咲いており、イタドリも空に向かって勢いよく伸びていました。
右手にかなり広い場所があるのですが、何となく気持ちが悪くて踏み込めません。
ここから大きく方向を変えて矢立に向かうことになります。
十町あまり行くと七十二町石と三里石が並んで建っており、この地点を通過した所にシダがたくさんかたまって生えています。
ここでおもしろいものを目にしました。
おのおののシダから二本の新芽が長く角のように突き出ており、まるで畑に水をやる噴水器のようで、コミカルに感じられました。
光の当たる加減からか、新芽の方向が一定しており、リズム感があります。この新芽は細長いだけに、うまく写るようにとバックが暗いような角度を工夫しながら撮影しました。もう少し経つと、この新芽が成長して青々とした羽状に葉を広げ、みずみずしい美しさを見せます。
この頃のシダを特に「青シダ」と呼ぶそうです。
またしても思いがけないドラマが待ち受けていました。
三十町石付近でまたまた大発見をしました。今まで目にしたことのない植物に出くわしたのです。
偶然、その木の葉っぱを眼にして驚きました。何と、葉っぱの一枚一枚の上に実が成っているのです。花や実は葉っぱと別々にあるものという固定観念が完全に覆されました。
新種発見かと思い、気持ちが高ぶりました。とにかく写真に収め、帰ってから図鑑で調べるとちゃんと載っており、その名を「ハナイカダ(花筏)」と知りました。
葉っぱを筏にたとえた命名だそうです。うまく名付けるものですね。やはり、葉の上に実が成るなんて珍しいらしく、図鑑にもそう記載されていました。実は秋になると黒く色づいて食べられるそうです。是非とも味わってみたいものです。
毎度毎度、歩くたびに自分ながらの発見があり、心ときめく週末を迎えています。
雨で山歩きの出来ないときは、今まで撮った写真を整理したり、文章を書いたりします。木や草花の名前もけっこう分かってきました。それにつけて歩きの楽しさも増してきたように思えます。
百八十基ある町石の位置もきっちり頭に入りました。満足の山歩きです。
笹田義美先生のプロフィール
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世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
- 著者
- 笹田 義美
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