小暑の頃 宝さがしの町石道
小暑(七月七日頃)
梅雨明けが近く、本格的な暑さが始まる頃で、蓮の花が咲き、蝉の合唱が始まる季節です。
暑い時期になると思い出すことがあります。
それは、初めて町石道を慈尊院から大門まで歩き通した時のことです。私の散歩道として、九度山展望台まで何回か登るにつけて、道端に建つ町石卒塔婆から私に語りかけてくるものを感じ取っていました。まだ見ぬ町石がどんな所に、どんな姿で建っているのだろうか。是非とも全てを自分の目で確かめ、写真に収めてみたい、という願望が自分を抑えきれなくなってきていたのです。
体力の不足を思い、知らない山道を一人行く不安が先に立って、この計画を実行に移すことがためらわれました。しかし、かつて町石道で遭難したとか、迷子になった話しを聞いたこともなく、何とかなるだろう、という持ち前の気楽さに加え、まだ見ぬものへの好奇心が不安に打ち勝ったとき、実行の運びとなったのです。
今になってみると些細な事かもしれませんが、当時の私にとっては、冒険をするようなたかぶりを覚えたことを記憶しています。
約百九メートルおきに建つ町石が道しるべになっていることが心丈夫でした。途中、暗い所や寂しい所などもありましたが、次の町石を目にしたときの喜びは大きく、新鮮でした。
不安が何時しか楽しさに変わり、意欲へと結びついていったのです。町石の一つひとつを写真に撮り、次の町石を探している自分を振り返るとき、それはまさに子どもの頃に遊んだ宝さがしそのものでした。
キョロキョロしながらの歩みだけに、時間もかかり、足下が不注意になって躓いたこともしばしばでした。石ころだらけの上り坂にかぎって町石は道の際に建っておらず、小高いところにあったのです。後から考えると、それは当然のことでした。なぜなら、雨が降ると坂道がそのまま水の通り道となり、土が流されて町石が倒れる可能性があるからです。そこで影響の受けにくい高い位置に建てられているのでした。
そうとは知らず、足下に注意している間に思わず通り過ぎてしまうのでした。
その上、この時期は草や木の葉が繁り、町石が一番見つけにくい時期でもありました。
規則的に約百メートルおきにあるのですから、歩いた距離や時間からして通り過ぎたことはすぐに分かります。見逃した町石を求めて同じ道を引き返すことも度々で、思った以上に時間がかかりました。
しかし、汗だくになって山の中を一人ウロウロしながら町石を探した思い出は忘れられません。
当時は、道端に咲く花や、町石に刻まれた字などには関心を示す余裕もなく、ただ町石を見つけることだけが目的でした。
出発してから十一時間後、最後の坂を上りきり、大門を仰ぎ見たときの感激は格別でした。まさに極楽浄土にたどり着いたという感じで、そのとき目にした大門の勇姿が今も目に焼き付いています。
もちろん、一度の登山で全ての石が見つけられるはずもなく、その後、何度も登って探しました。特に杉林の中に建つ百五十二町石、応其池近くの百十三町石、袈裟掛石の手前の五十七町石などは見つけ出すのに苦労しました。どうしても探し出したい気持ちが私を幾度も町石道に駆り立てました。
すべての町石を見つけ、それを写真に収めきったとき、宝物を全て手中にしたようで、大きな満足感を覚え、それが原動力となって町石道の景観や歴史にも大きな魅力を覚えました。
町石という「点」を町石道という「線」でとらえよう、それに一年を通して四季の移り変わりという「時」を加味しよう、という発想が浮かんできました。そしてそれは、私が町石道にはまり込んだ瞬間でもあったのです。
以来、今にいたるまで町石道の魅力は私をとらえて離しません。
特に、夏の町石道を行くことに魅力を覚えるという裏には、初めての道を、不安をかかえながらも最後まで歩き通した経験が、この季節であったという、多分に個人的な理由からです。
この暑い時期に、今まで歩いたこともない山道を、しかも一人で歩き通せた、ということが自分への自信となって跳ね返りました。
思い出はここまでにして、小暑の頃、町石道は着実に夏に向かっており、ちょっと見ぬ間に草が茂り、木々の葉が緑を濃くしていました。
木々に囲まれた町石は、長い時の流れの中で、まるで石の中にまで木々の緑が溶け込んでいるかのごとく、すっかりなじんだ感じで建っています。
夏になって、がぜん元気なのがツタの類です。
木々の幹に巻き付いて、ぐんぐん天に向かって這い上がっていく様子からは、力強さが伝わってきます。幹を緑色にコーティングして、山は一掃深みを増していくのです。
よく見ると、いろんな形の葉があって面白く思えたので、カメラで収集しながら歩きました。
これらは、秋になると紅葉して、カラフルな飾りとなって私たちの目を楽しませてくれるのです。
この時期、草の息づかいが風に乗って伝わってきます 今週になって目に付いたのがトラノオグサ(虎尾草)です。
長く先の垂れた花穂は、その名のとおり、虎の尾っぽに見えます。葉の形は幾分ユリに似ており、白く小さな五弁花が密集して咲いて、先にいくほど細くなって弓なりに垂れていました。
道端に咲いたトラノオを目にすると、その花房を手に受けて触ってみたい誘惑に駆られます。
百十五町石付近に来たとき、山の中から思いがけない歓声が耳に届き、一瞬とまどいました。
百十四町石から百十二町石にいたる町石道に並行して、紀伊高原カントリークラブのゴルフ場があるのです。よく手入れされたグリーンの芝生がきれいでした。フェアウエイのなだらかな起伏に敷きつめられた緑のコウライ芝と空の青さが対比して、白い一片の雲がかかった構図は絵になります。
しかし、最初の頃は予期せぬところで突然ゴルフ場が現れて意外な感じがしたものです。プレーヤーの声が聞こえたり、クラブを乗せたゴーカートが町石道に現れてビックリしたこともあります。
いったん道から離れたものが九十五町石付近で再びゴルフ場に隣接し、さらに八十八町石で三たび目にすることになります。山の中にこんなにも手入れのいき届いた広い芝生の土地があるなんて信じられません。
ひとり町石道を歩いていて、途中ゴルフ場で人がプレーしていたり、神田集落の田畑で人が働いている姿を見ると正直ホッとするときもあります。
七十町石から六十九町石へむかう途中の道が大きくえぐり取られていました。先週の大雨に路肩の弱い箇所が崩れ落ちたのでしょう。
注意しながら横歩きになってすり抜けました。通り過ぎた直ぐのところで黄色い物体を発見。キノコです。
雨を充分吸って大きく成長したキノコが道端の草を押し分けて生えていました。どう見ても食べられそうにありませんが、私にとってはこれも宝物の一つです。さっそくその場にしゃがみ込んでカメラに収めました。これですっかり私だけの宝物になるのです。
タケニグサ(竹煮草)も茎の先端に乳白色の小花を付けだしました。
茎が中空で竹に似ていることから付いた名だそうです。それなのに「似」ではなく「煮」という漢字を当てるのは何故かと言うと、この草と一緒に竹を煮ると柔らかくなる、ということに由来するそうです。
秋になると数個の種子の入った角形の果実をたくさんぶら下げ、その種子が風に吹かれてカラカラと鳴ることからササヤキグサの別名もあります。どんな音なのか、早く実際に聞いてみたい気がします。
特に五十二町石の手前の道端にたくさん生えており、雨の後などは大きな葉っぱに丸い水滴が幾つも付いていたのが印象に残っています。
なお、五十二町石付近は左手の山が切れて風通しもよく、空の青さをバックに町石を撮せるので晴天の時は好んでシャッターを切るポイントとなっています。
それに夏萩も咲き出しました。ハギ(萩)といえば秋草という印象がありますが、七月から八月に開花するものも結構多いようです。
暑い夏に秋の涼しさを分け与えてくれていました。
山道を歩いていると、何かで掘り起こしたような跡が筋状に付いているのをよく見かけます。イノシシが餌のミミズを取るのに鼻で掘り起こしたものだと聞きました。
しかし、私自身はイノシシを目撃したことはありません。夜のうちの行動なのでしょう。
リスのかわいい姿を見かけたこともありますが、写真にはとらえることが出来ませんでした。
トンボ、チョウ、テントウ虫、カミキリムシなどの昆虫が花や葉に止まっているところを写真に撮るのは大好きです。
その他、ヘビ、トカゲ、クモ、アブの類も目にしますが、苦手でカメラを向けられません。木の根っこがヘビに見えて思わず飛びのいた事もありました。
町石道を歩くとき、私の気持ちの中では、常に宝さがしの感覚があります。
百八十基の町石のありかを訪ねて町石道を歩いたときの面白さに始まり、季節の花や虫などの存在に気付かされました。やがてそれらすべてが宝物に見えてきたのです。
年間を通じ、そんな宝物を写真に収めることが気持ちの高ぶりにつながっています。今日も幾つかの宝物を拾いました。
これらをご紹介できる機会を楽しみに、これからも町石道を歩きたいと思っています。
笹田義美先生のプロフィール
販売のご案内
世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
- 著者
- 笹田 義美
- 定価
- 2,800円(税込)
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- TEL. 073-435-5651