大暑の頃 町石道に汗を染み込ませて
大暑(七月二十三日頃)
最も暑い頃という意味であるが、実際はもう少し後。学校は夏休みに入り、空には雲の峰が高々とそびえるようになる季節。
梅雨明け宣言がなされ、本格的な夏が到来しました。
これから町石道を歩くには、朝早く家を出て涼しいうちに六本杉まで登り、あとは起伏の少ない山の尾根を行くというのがベストです。
今日のテーマとしては、ツタやカズラに代表されるツル系の植物を写真に収めたいという計画を立てて家を出ました。
大暑の頃ともなると木の葉が緑を濃くし、夏草が茂って日陰のないところでは草いきれがして、特有の熱気が感じられます。中でもツタやカズラがツルを木の幹に巻き付けながらはい登っていく様には生命のたくましさが伝わってきます。
持尊院から登り初めてまもなく、百七十八町石付近の杉の木にはテイカカズラ(定家葛)が巻き付いて緑の帯を遙か上方まで伸ばしていました。初春の頃、ここから甘い香りの花びらが舞い落ちてくるのです。
百七十六町石に来て思わず笑ってしまいました。というのも、この町石のてっぺんにはツタが巻き付いて、まるで緑のターバンのようになっており、そのおしゃれな姿が何となくコミカルでおかしく感じられたからです。
この町石の隣にはイチョウの木があり、秋には黄色く色づきます。これをバックにツタのターバンが紅葉してカラフルになった情景を想像するだけでも楽しくなります。
百六十八町石まで来ると突然目の前の展望が開け、朝日が蛇行した紀の川に反射していました。見下ろす斜面一帯がクズ(葛)の大きな葉で覆い尽くされ、下の草木が見えません。まさに緑の絨毯を敷き詰めたという表現がぴったりの光景です。
この他にもツルが切り株に巻き付いて枯れ木を蘇らせたり、幹に絡みついた様子がいかにもおしゃれな首飾りのようであったりと様々に目を楽しませてくれます。 百四十九町石に向かう手前で道が大きくカーブしており、この地点で右手の杉林がきれて光が射し込み、暗い感じが一転して明るくなります。すこしの区間ですが、ここにはヤマハギ、ヒメジョオンなど里の草花を見ることができます。
この日も足下にナデシコ(撫子)の花が二輪、朝露を含んでピンクの色も艶やかに肩を寄せ合って咲いていました。深く細かに切れ込んだ五弁の花びらを羽根のように広げている様は優雅さをも秘めており、ヤマトナデシコという名からして日本人好みの花であることが伺えます。日本女性の美しさと控えめな優しさを形容する代表的な花であり、秋の七草の一つでもあります。清少納言をして「草の花はなでしこ」とまで言わしめたことでも知られています。
しゃがみ込んで、上からファインダーをのぞき込みながら撮ろうとしたとき、帽子のひさしをつたって汗が筋になってしたたり落ち、眼鏡が曇ってピンクの花が霞んでしまいました。このような現象は、夏の暑いときによくあることですが、ナデシコの花の美しさを早くカメラに収めたくて、つい状況判断を誤ってしまったようです。
ナデシコは町石道を通じてこの二輪しか見つけられませんでしたが、なぜか今でも心に残っています。
少し行くと両側が杉林となり、ここに百四十九町石が二つ並んで建っています。左側の大きな方が原石で、下輪の途中を補修した跡が白っぽい帯になって残っており、かなり風化した痕跡が残されています。その隣に、少し小ぶりな大正期の新石があります。紛失した原石があとから見つかって二つを並べて建てたのでしょう。
二輪のナデシコと二基の町石、日本人の愛する花と歴史の証がどちらも二つ並んで寄り添っているのが嬉しく思えました。
朝の早い時期、太陽の光の角度が浅く、自分の影が道や土手に細長く写ります。とくに、道の際が小高くなっているところでは、土手がスクリーンになって鮮明に影を拾ってくれるのです。
子どもの頃、障子に影絵遊びをした思い出が懐かしく蘇ってきました。
自分の影を写真に撮ろうとピースや万歳などいろいろなポーズをしてみたのですが、うまくカメラに収まりません。片足を岩にかけて足が長く写った影が気に入りました。自己紹介に代えさせていただきます。それにしてもこんな事をして遊んでいるところを誰かにこの様子を見られたら恥ずかしいな、と思いながらも楽しいひとときでした。
杉林に光が通るとき、光と影がまだら模様になって全体が綺麗に見えるときがあります。百十八町石にさしかかったとき、その現象に出くわしました。太陽光線の角度が低く、葉っぱの落ちた冬には、間伐された木々の影が平行に走っていっそう綺麗になります。
町石道の両脇には木が多く、厳しい直射日光を防いでくれています。自然の日傘の中を歩けるので思ったほど暑くはありません。この時期、道に落ちる影も色濃く、町石道に焦点が合ったとき楽しい影ができるのです。
神田集落を下に見ながら、左に大きく曲がりきったとき、地蔵堂に隠れるようにして咲いていたオニユリの一むれが姿を現しました。
真夏の暑さに負けず、鮮やかなオレンジ色にまだらの斑点を配した花びらが、青空をバックに反り返って咲いており、周りの濃い緑の中で一際浮き上がって見えました。
足下に注意しながら、思い切り花の近くに近づき、アングルをアンダー気味にとって何枚も写真に収めました。この暑さの中で凛として咲く花の逞しさと美しさに加え、気高さみたいなものが感じ取れました。
それにこの頃になると、いくつもの花房を内包したウバユリの大きな蕾が弾けて、三方にラッパのような花をつけて道端に咲いています。町石道の各所に咲いており、上りはじめの百七十八町石付近から、大門近くの十町石付近に至るまでみられます。
春先から大きな葉が目に付き出し、初夏にはその中心部分から太い茎が一本ニョキッと出てき、やがてその頂点に大きな蕾をつけます。そして今頃になると肉厚の花をつけるのです。
その形や雰囲気が他のユリとは趣を異にしています。葉や茎はがっしりしており、花びらも大きく開ききることもありません。そして、その花を付ける頃には下の葉は既に茶色く変色してきており、役割を終えようとしています。葉(歯)がないことに引っかけ、ウバ(乳母)という名が付くなんてちょっと花に対し気の毒な気もしますが、仕方ありません。写真では出来るだけ綺麗に写るように努めました。 オニユリとウバユリを合わせると「オニババ」だな、なんてくだらないことを考えてしまいました。
サビタの花ってご存じですか。別名をノリウツギと言います。
大暑のこの時期、町石道で見られます。花びらだけを見るとガクアジサイによく似ていますが、それよりずっと高い位置に白い花を咲かせます。
樹皮の粘液は日本紙をすくときの糊料とされることがノリウツギ(糊空木)の別名を持つ所以です。
また、この木は北海道に多く生えており、根でパイプを作ったり、材で傘の柄や杖を作るなど用途も広いようです。きっと民芸品なんかもたくさん作られるのでしょう。それにサビタの花っていかにも北海道的な響きのする名前ですよね。
花に近づくと少し臭みを伴った甘い匂いが伝わってきます。それが虫を引きつけるのでしょうか、ハエや蜂の類が花の周りを飛び交っていました。
まさか花には糊のような性質は無いのでしょうけれど、黄金虫が張り付いて動こうとしません。ゆっくり写真に撮らせてもらいました。
十八町石手前に、台風の時倒れたのか、切り出した時転がり落ちてきたのか分かりませんが、大きな杉の木が横になって生木に引っかかっているところがあります。最初見た時 はビックリしました。しかし、見慣れてくるとそれも一つの風景となり、目安となって当たり前になってきていたのですが、その木が雨で腐り、自らの重みで途中から折れて道をふさいでいたのです。
いつかはそうなる運命とは言いながら、そのときを迎えた姿が壮絶で折れた瞬間を想像すると怖い気がします。転がった木を押してみてもびくともしませんでした。残った部分が落ちてきそうな気がして、その場を足早に立ち去りました。
夏に向けて虫の世界も活動が旺盛になってきます。活発に動く姿はカメラにとらえにくいものの、二十四キロの道のりの内にはいろんな虫に出会います。
足下から黒っぽい蜂が飛び去るのが目に入りました。その場をよく見ると蜘蛛が一匹、腹を上にして横たわっています。どうやら蜂の一刺しを食らってしびれてしまったようです。仕留めた蜘蛛に卵を生んで子どもの餌にするということをどこかで聞いたことがあります。
それならきっと蜂はその餌に未練があって戻ってくるはずです。ちょっと待つと案の定まい戻ってきて蜘蛛にたかりました。今度はカメラを近づけても蜂は逃げようとしません。大事な餌を確保すべく覚悟を決めたようです。その様子を何枚かカメラに収めました。
子どもの頃、昆虫少年だった私の本能が蘇ってきたようです。花だけでなく虫もカメラに収めたくなってきました。その点、町石道は申し分のない舞台です。願わくば、もう少しズームの利くデジタルカメラの出現が待たれます。当分の間は動きの少ない虫たちを追うことにします。
そういう意味においては木の葉に止まって動かないカミキリ虫や毛虫、コガネ虫なんかは打ってつけです。今日も何匹か私のカメラの網にかかりました。
そんな調子で虫を探していて、面白いものを見つけました。ミカエリソウの葉の柔らかいところが食べられて葉脈だけが網の目場に残されていたのです。
中学校の時、薬品を使って葉脈だけを残す実験をしたことが思い出されました。
それにしても、こんな事をする犯人(虫?)は誰なんでしょう。周りをよく見ると、そんな葉が幾つもあります。きっとホシは近くにいるに違いありません。
しばらくして、無心に葉っぱに食らいついているカミキリムシを見つけました。それにしても。こんなに群生している植物が食料になるなんて贅沢なもんですね。食い残した葉が散在していました。
梅雨の頃、土砂や伐採した木が流れ出して町石道を遮っていた状態が、この日補修されていました。
小型ブルドーザーで道をならし、整地している側を通り過ぎるとき、従業員の方が私の通り道をとりあえず作ってくれ、「気をつけて行って下さいよ」と声を掛けてくれました。高野町の職員の方なのでしょうが、この人たちに支えられながら道が守られていることを思うと頭が下がります。
道をならすだけでなく、防御用の柵を作るらしく、それらしき材木が用意されていました。
歴史の道を維持し、登山者の安全を守るべく、蔭でこのような営みがなされているのです。
笹田義美先生のプロフィール
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世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
- 著者
- 笹田 義美
- 定価
- 2,800円(税込)
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