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ウォーキング随筆紀行高野山町石道「立秋の頃・町石道に風立ちぬ」

立秋の頃 町石道に風立ちぬ

立秋の頃 町石道に風立ちぬ

立秋(八月八日頃)

初めて秋の気配が現れてくる日。秋立つ日。一年で一番暑い頃であるが、あとは涼しくなるばかりで、この日以降は残暑見舞いとなります。
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八月七日、立秋。

「暦の上では秋といいながらも、夏の暑さはこれからが本番です。」というお決まりの文句がブラウン管から流れてきます。

夏の甲子園も始まり、連日熱い戦いが繰り広げられます。高野山でも夏休みの林間学校や各種研修会が開かれ、賑わいを見せる頃です。

私は町石道の歩みの中に、大別して二つのテーマを設定しています。その一つは町石道の四季の味わいと移ろいを捉えること、もう一つは町石道から歴史を感じ取ることです。

秋が勉学の秋というなら、その志を立てるという意味においては、立秋のこの時期が最適と言えるのではないか、と自分で自分を納得させながら、今日のテーマを探すことにしました。

そこで、道端に建つ五輪の町石卒塔婆の一つひとつに刻まれた「梵字」は何を意味しているのか、町石を知るにつけて、以前から抱いていた疑問でもあり、それに注目することにしました。とりあえずは、梵字の彫りが輪郭のくっきりした町石を写真に収める事からのスタートです。それに、立秋というかぎりは、秋の兆しが町石道にもあるに違いありません。

この二つを今日のテーマに、立秋の町石道を歩くことにしました。果たしてどんな収穫があるのでしょうか。また、この暑い最中に秋の気配は感じられるのでしょうか。

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秋とはほど遠い気温のなか、九度山の上り道を汗を滴らせながら登るにつれて、その落差を感じるばかりで、課題の設定を変更しなければいけないかなと思っていたとき、エノコログサ(狗尾草)を見付けました。

細い茎の上にヒゲのついた穂が幾つも固まって風にゆらゆらと揺れているエノコログサは、いつ見ても愛嬌があり、郷愁を誘います。この穂の先でくすぐりあった思い出を持つ人も多いのではないでしょうか。秋になると黄色っぽく色づいて、夕焼けに輝く穂の部分を逆光で撮ると、ヒゲが丸い輪郭となってかたどられ、それが宙に浮いて揺らめく様には、独特な秋の風情があります。

まだまだ若い色合いですが、きっちり成長しており、秋本番に備えるかのように揺れていました。

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二ツ鳥居近くの展望台で汗にぐっしょり濡れた下着を着替え、一息ついてから再び歩き出しました。百十五町石にさしかかったとき、吹き抜ける風が肌に心地よく、風の通り道に立ち止まってしばらく爽やかな感触を味わいました。その風にはわずかながら秋の気配が含まれており、今年になって最初に肌で感じた秋の兆しでした。

町なかでは蒸し暑さの盛りながら、やはり山の上から微かに秋が忍び込んできているのが感じられ、風を通して立秋の証が得られたようで、うれしく思えました。

少しずつですが、秋は山から里へと下りだしたようです。

風とともに、秋を感じるには何と言っても「秋の七草」が一番です。町石道で七つのうちの三つが花を付けているのを見付けました。

クズ(葛)には紫がかったピンクの花が大きな葉っぱに隠れるように咲いていました。まだまだ咲き始めなので、根本の方だけ花を開いた状態でした。ヤマトナデシコ(大和撫子)も先週見付けたポイントから上にあがって、八十六町石付近の道端に花を咲かせていました。

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それに、日当たりのよい所ではヤマハギ(山萩)が花を付けて秋を呼び込んでいました。 万葉集で詠われている歌で多いのは、何と言っても萩の花で百三十七首も詠われているそうです。ちなみにウメは百七首、桜は三十八首です。古来から日本の山野に萩の花が咲き乱れ、日本人の心を癒してくれたことが伺えます。また、「萩」という漢字は「椿」同様、日本で作られたものだそうです。

萩と言えば、お月見の時、ススキとともに団子に添えて供えるというイメージが強く、こんな暑い最中に咲いているとは知りませんでした。

まわりの気温が高いとはいえ、これらの花を目にすることで、視覚から秋の到来が感じられた次第です。

高野山道路を横切ろうと左右を確認し、ふと六十町石に目をやると、ムクゲ(木槿)の花が町石に彩りを与えていました。まるで、髪に挿した花飾りのようで、とてもおしゃれに見えました。

たくさん蕾が付いており、しばらくは楽しめそうです。

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そして、今日のもう一つのテーマ。つまり、町石に刻まれた「梵字」に着目しながら歩みを進めました。

五輪(上から空輪・風輪・火輪・水輪・地輪)の各輪に刻まれた梵時は、私にとっては訳の分からないものながら、何やらありがたく、また意味ありげに感じられます。

町石に記された各輪の梵字を「種子」といい、大日如来や地蔵菩薩、不動明王、如意輪観音など、主尊を一字で象徴する、いわばイニシャルを意味するのだそうです。

そんな訳で、時の天皇や上皇などは、この主尊にたいして一町石ごとに輿から降り、手を合わせながら登ったと聞いています。

いつものように、まずはデータの収集から始まります。特に地輪に刻まれた大きくて、くっきりとしたものをカメラに収めながら歩きました。帰ってからこれらを再現し、高野山頂の書店で買った「梵字手帖」と見比べながら、一つひとつ解明していきたいと思っています。

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三十町石付近に来て、辺りに甘い香りが漂っており、思わず足が止まりました。

その花の匂いといい、形といいテイカカズラによく似ていましたが、木の様子がまるで違っていました。

図鑑で名前を調べて、それがクサギ(臭木)の花であることを知りました。花があんなに甘い香りがする木に、臭い木という意味の名前が付くのが意外でした。解説を読んでみると、幹や葉っぱの匂いが臭いのだそうです。

そのときは花の香りに気が取られ、葉や幹がどんな臭いがするのか分かりませんでした。

確かめずにはおれない私としては、次に登った機会に葉っぱを揉んで実際に嗅いでみると、確かにくさいのですが、例えようのない臭いに、どのように表現したらいいのか思いつきません。

よく見ると川岸などにもよく咲いており、小さい頃、相手の身体にこすりつけてふざけたあった記憶がよみがえってきました。

機会がありましたら、ご自分で嗅いでみてください。

秋を探しながら大門まで登ってきました。しかし、気温だけからすると、秋にはほど遠く、汗だくになって辿り着きました。高野山の山頂は、涼を求めて多くの観光客で賑わっていました。木陰に入るとひんやりし、さすがに高野山らしい冷気が感じられました。

ケーブルで下まで降り、我が家に着いてみると厳しい暑さが待ちかまえており、現実に引き戻されてしまいました。

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今回の話はここで終わりとはならず、私にとって、この夏の思い出づくりに相応しい二つの出来事が待ちかまえていたのです。

お盆休みで家に帰ってきた娘が突然、「明日、お父さんと高野山に登りたい」と言いだし、うれしい驚きに満たされました。  白状しますが、娘が成人し、就職して働きだした今までに、一緒に肩を並べて歩いた事なんて一度も無かったのです。二十歳を超えた娘と二人して山道を歩くなんて、少し照れくささも感じましたが、正直なところ、ときめくものもありました。嫁に行かれてしまうと二度とこんな機会がやってこないような気がして、昨日歩いてきたにも関わらず、そそくさと山歩きの用意をしたものです。

次の日は細川から矢立にむかい、そこから大門を目指すことにしました。

朝一番の電車には他に誰も乗り合わせてきませんでした。車輌に二人だけポツンと座っていることが何となく嘘のようでした。

細川駅を降り、不動谷川に沿った道で私達を迎えてくれたのはヤマユリ(山百合)でした。切り花や鉢植えされて咲いている百合しか見たことのない娘にとって、山百合が山間の道にこんな状態で、こんなにもきれいに咲いているのを目にしてうれしかったようです。

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また、大きなバショウ(芭蕉)の葉を間近で見たときは驚きと感動に包まれていました。

仕事や職場のことを話しながら、前後して歩いた思い出は消えることがないでしょう。歩きながら聞いた話では、職場の人間関係で悩んでいるらしく、今のところを辞めたい気持ちに捕らわれているようでした。

親として、つい説教的になりがちな気持ちを抑えながら、今までに遭遇した自分の経験を話すにとどめ、判断は娘にまかせました。

大門に至る最後の上り坂を息せき切って登ったことが娘に何かを与えたようです。帰り際、母親に「続けて頑張るわ。またお父さんと歩きたいと伝えといて」と言って職場へ戻っていったことを聞かされました。うれしい気持ちを抑えて「そうか」と一言そっけなく返しておきました。

娘との同行二人がこの夏一番の思い出となりました。

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娘が帰ったその晩、高校時代の友から一本の電話が入りました。

「おい、カラスウリの花が咲いてるぞ」

以前、カラスウリの花の写真を撮るのに一緒に行ってくれ、と依頼してあったのを思い出して彼から一報をくれたのでした。カラスウリの花は夜しか咲かないので、淋しい山道へ出かけるのが心細く、友に助っ人を頼んであったのです。

懐中電灯を用意し、以前見付けてあったポイントへ向かいました。

友の「おっ」という声のむこうには懐中電灯に照らし出されたカラスウリの花が浮き出ていました。レースの飾りに包まれた大の字の白い花びらが暗がりの中で幾つも咲いており、幻想的な雰囲気を醸し出していました。

カラスウリの実を知っている人は多くいますが、花の方は案外知られていないのが実状のようです。レース編みのような花が、闇の中で咲いているなんて素敵ですよ。

友に光を当ててもらい、フラッシュをたきながら夢中になって三十数枚の写真を撮りました。前からねらっていたものを手中にしたうれしさと期待を裏切らない花の美しさが満足感を与えてくれました。

友は孫にも見せてやろうと言って帰っていきました。得意になって説明している顔が目に浮かびます。

四季の高野山町石道の動画を見る

笹田義美氏

笹田義美先生のプロフィール

  • 和歌山県に生まれる。
  • 和歌山大学教育学部卒業後、和歌山県立箕島高校、伊都高校、橋本高校の教諭に就く。
  • 和歌山県教育委員会学校教育課の指導主事に着任。
  • 和歌山県立橋本高校、紀北工業高校の教頭職に就く。
  • 「紀の川散歩道」を発刊
  • 和歌山県教育研修センター副所長に就く。
  • 伊都地方教育事務所長に就く。
  • 「四季の高野山町石道」を発刊。
  • 和歌山県立紀の川高校の校長に就く。
  • 和歌山県立紀の川高校の校長退職。
  • 現在に至る。

販売のご案内

世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
著者
笹田 義美
定価
2,800円(税込)
お問い合わせ
TEL. 073-435-5651