処暑の頃 夏と秋のはざまで
処暑(八月二十三日頃)
暑さが峠を越して後退し始める頃。萩の花が咲き、朝夕は心地よい涼風が吹く頃だが、台風のシーズンでもある。
台風十一号が大量の雨を降らせながら、ゆっくりと日本を北上した後、晴天がもどってきました。熱戦に沸いた高校野球も終わり、処暑の頃ともなると一段と朝夕の気温が下がって、寝苦しさから解放されます。
夏と秋が入れ替わる瞬間を何とかカメラに収めたいな、文章に表現したいな、という想いを抱いての山登りとなりました。
九度山の里山ではツユクサ(露草)が咲き始めました。
緑の葉っぱから顔を出している青紫色の花びらが何とも言えない趣を持っています。万葉人も深く愛した草でした。花から採る染料で衣を染めたと聞いています。露草という語感も心を潤す要因になっているようです。まさに夜明けの露を含んでしっとり咲く雰囲気は名前の通りです。
花に近寄って正面から見ると、ミッキーマウスの顔に似たユーモラスな感もあります。青い二つの花びらが耳のように見えますし、白っぽい部分が鼻に見えて髭も生えています。黄色い部分が目玉のようで愛嬌があります。一度よく見てください。かわいいですよ。
百六十八町石のある柿畑に露草がかたまって咲いていました。群れて咲く様子や花のアップは何とか写真に収めたのですが、背が低いだけに、いつものように町石と重ねて撮るのにかなりの苦労でした。腹這いになって写したのですが、それこそ露に服がぐっしょり濡れてしまいました。
露草の咲く百六十八町石を少し先に行くと左手がクヌギ林となっており、その道には先日の台風にあおられて、若い実のついた枝が散らばって落ちていました。また、クヌギに混じってカシの木もはえており、それが道にはみ出していました。よく見るとその木には鈴なりに可愛いドングリが成っているのを見付け、早速カメラに収めることにしました。
いくつになってもドングリには心ひかれるものがあります。ドングリで独楽やヤジロベエを作って遊んだ思い出と「ドングリころころドングリこ、お池にはまってさあたいへん」という、あの歌が心に染み込んでいるためだと思われます。
クヌギ林のきれる土手の石垣にはヒヨドリジョウゴ(鵯上戸)のツルが垂れており、赤い実が目に止まりました。チラホラと花も付けていますし、青い実もかなり混じっています。まさに、一つのツルに夏と秋が同居しているようで、季節の変わり目を感じさせてくれました。
また、そこにはヘクソカズラ(屁糞葛)のツルも混じっていて、ここには小さな花がいっぱい付けていました。そのにおいが臭くて、屁糞なんて名が付いたそうですが、気の毒な気がします。
ヘビイチゴ(蛇苺)、クサギ(臭木)同様、その名前とは似ても似つかない可愛い花をつけます。
このところ、ヨウシュヤマゴボウ(洋種山牛蒡)も房状の実を付けています。
その実を空を背景にした逆光で見ると影絵のようになって浮き上がり、面白い構図となります。
百四十町石付近に来て、ツクツクホウシの合唱を耳にすることができました。
一匹が鳴き終わる頃、別の方向から鳴き声が起こります。そして、ときにはお互いが共鳴するかのごとく、頭上のいろいろの方向から一斉に鳴き出し、それがしばらくすると、一匹だけの独唱となり、やがてそれが終わりかける頃になると、反対側から鳴きつなぐという状態の繰り返しでした。
ツクツクホウシの鳴き声には夏の終焉が感じられ、どことなく寂しさを含んでいます。ここにも夏と秋のはざまが織りなすドラマがありました。
しばらくそこに腰を下ろし、鳴き声に聞き入りました。
ふたたび歩きはじめ、鳴き声を後ろに聞きながら進み、やがては聞こえなくなりましたが、耳の奥ではまだ、ゆく夏を惜しむかのように、ツクツクホォオーシと語尾を伸ばした独特の鳴き声が残像となって残っていました。
上古沢の分岐点にある百二十四町石にさしかかったとき、一枚の立て札が目に留まりました。そこには、最近イノシシが農作物を荒らす被害のため、銃による駆除を行うから山道を行く人は注意するように、ということが書かれていました。
道の途中、食料となるミミズをとるためにイノシシが掘り返した跡が筋になって付いており、それがいつもより多いな、と感じていたのですが、それを裏付けるような出来事でした。
また、最近になって、大門付近でも「クマ出没、注意!」の立て看板も立てられています。山に食べ物が少ないのでしょうか。
すこし、気味悪く思えますが、イノシシは夜行性ですし、クマが道に出てくることは滅多にありません。刺激さえしなければ大丈夫です。
天野の里に近いこの付近には「十方碑」がかたまってあります。
町石のほとんどは時の権力者か知識階級や僧侶など、経済力のある人による寄進が多いのですが、庶民が協力して寄進したものもいくつかあります。それが「十方碑」なのです。
百十三町石には「十方檀那」と刻まれています。檀那を辞書で引くと、梵語ダーナの音字で、仏家が財物を施与する信者を呼ぶ語だそうです。施主と同じ意味となっています。
ちなみに、十方施主碑は高野領内の百姓その他一般庶民による寄進で、三十町、百二十一町、百二十二町、百二十五町の四基、十方檀那碑は遠近他国の信者一般の寄進とされ、百二十三町、百六十二町の二基で、計六基だけが十方碑となっています。
今日、八月二十四日は地蔵盆。神田地蔵堂でも毎年お祭りが行われます。
先々週の十二日にここを通りがかったとき、地蔵堂の周りの草刈りが行われていました。聞いてみると毎年十二日は草刈り、二十四日はお祭りと決まっているそうです。草を刈っていたおばさんが「当日、四時から餅撒きがあるからおいで」と誘いを受けていたのですが、まだ昼過ぎだったせいか、祭りらしき雰囲気はありませんでした。来年は時間を逆算して、高野山側から下って来ようと思います。そしてその様子をカメラに収めるつもりです。楽しい宿題が一つできました。
八十一町石を過ぎた頃から右手が大きな岸壁となっており、見上げると迫力があります。その上から葉の付いたクズのツルが一筋、真下に垂れ下がっているのが印象的でした。
八十町石近くで道が大きく右にカーブしていて、その曲がり角は風の通り道となっており、いつもここの切り株に腰を下ろして一休みします。
ここから六十町石にいたる間には赤松林があり、日の当たる方向に張り出した枝が赤松独特の雰囲気を醸しだし、下草の少ない杉や檜の植林とは趣が異なっています。その下草としてシダが多く生えていたり、道に松ぼっくりが落ちていたりします。
それに、松葉で覆われた道は、足の裏に届く感触がしっくりしていて暖かく快い感じが伝わってきます。
七十二町石と三里石が並んで建つ辺りに松ぼっくりがたくさん落ちていました。
「ドングリ」が郷愁を誘うように「松ぼっくり」も何故か懐かしい気持ちをかき立てます。言葉が持つ響きがそうさせるのでしょうか、それとも子どもの頃の思い出が蘇るためでしょうか。
大雨の影響を受け、七十町石付近の道が大きくえぐり取られており、その補修工事が行われているようです。今日は日曜日で工事は休みなのでしょう、近くの分岐道にキャタビラのついた工事用の車が材木や針金を積んだ状態で放置されていました。
六十八町石近くの少しぬかるんだ所には、そのキャタビラの跡が規則的な模様となってくっきり浮き上がっていました。山道には不釣り合いな気がしましたが、こんな道を分け入ってくる力強さにも感心しました。時折、この町石道で自転車や単車に出くわすことがありビックリさせられるのですが、こんな車に対面したらどうしたらいいんでしょうね。何とかあの車に乗せてもらえないかな、なんて事も考えながら歩きました。
八十町石から六十町石に至る二十町の間は、高野山道路から車の音や南海高野線の鉄道の音が聞こえてきて、歩む速度も自然と速くなります。特に六十四町石付近からは遊歩道のような柵が付いており、人の気配が伝わってきて頑張りが利きます。
いつもは矢立茶屋で休憩するのですが、今日は地蔵堂に続く階段下で昼食を取りました。
ここからは、残り三分の一となります。以前はここで息切れすることも多く、細川への帰り道をとろうかと迷ったものですが、最近では躊躇せず大門を目指すようになってきました。
この頃になって花をたくさん付けるツル性の植物としては、冒頭に紹介したヘクソカズラの他に、センニンソウ(仙人草)があります。
ヒゲがいっぱい出た花の様子が仙人の髭を連想させる所から名付けられたそうです。かすかにミカンの花のような芳香を放っています。
木や柵に巻き付いて、一斉に白い花を付けた様子が、まるでその木に雪が積もったような感じを醸し出しており、それが花を付けない木に巻き付いて咲いているときなんかは、仙人がいたずらをして花を咲かせたようで、楽しい気分にさせられます。
上の方から花の付いたツルが道の中央に垂れ下がってきて、その花越しに三十町石が見える構図が絵になりました。
この辺りは、夏は草木に緑で覆われるのですが、冬になると、その全てが枯れてしまい、枯れ草の道となります。その対比が極端で面白く感じられます。
いつもカメラを持って、何かいい材料はないものかと辺りをキョロキョロ見回しながら登ります。今日もそのようにして一日中、山に入って遊んできました。
週末、いつものように写真を整理し、思い出を文章に綴っていたとき、不意に「ただ黙々と歩いてみたい」という気持ちが起こりました。それは突然、私の身体が求めた欲求でした。
思い立った明くる日、実行に移しました。
ただ前だけを見据えて、黙々と足早に歩き、汗だくになって大門に辿り着いたときの快感はいつもとは一味違ったものでした。
夏を惜しむ感傷的な気持ちが自分を突き上げたのでしょうか、それとも、カメラにとらわれず、汗にまみれて歩きたいという生理的な欲求だったのでしょうか。
笹田義美先生のプロフィール
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- 著者
- 笹田 義美
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