白露の頃 ドングリの落ちる音聞く町石道
白露(九月八日頃)
野にはススキの穂が顔を出し、秋の趣がひとしお感じられる頃。朝夕の心地よい涼風に、幾分の肌寒さを感じさせる冷風が混じり始めます。
昨日は和歌山県北部に大雨洪水警報が発令され、天気予報では台風十五号が近畿地方に向かっているという状況に、山歩きを諦めて床に就きました。
明くる朝、思った以上に明るい光が射し込んでおり、テレビのスイッチを入れると、台風の動きが遅く、今日、明日中は天候がもつとの予報に、あわてて準備にかかりました。
今日、九月八日は暦の上では「白露」なのですが、今回に限っては雨露という方が当たっていそうです。
昨日の雨で湿度が高く、蒸し暑い山歩きとなりました。町石道の所々では、昨日の雨が道に集められ、小さな川のようになっていてチロチロと音を立てて流れているところもありました。
しっとりと水蒸気を含んだ空気の中を通ってきた光が杉木立の間を抜けるとき、一条の筋となって地面に届いていました。
充分な雨を吸った草木の緑が滴るように深い色合いとなって森に溶け込み、飽和状態の湿気が町石道を濡らしていました。
汗が吹き出てきて、右手に持ったタオルが拭った汗で重たく感じられ、下を向くと帽子のひさしをつたって汗がしたたり落ちてくるので、カメラにかからないようにするのが一苦労でした。
百四十八町石では、イタドリの花が町石を隠すばかりの勢いで咲いており、のぞき込むようにして写真に収めました。花はそんなに派手さはありませんが、群れて咲くとなかなか見栄えがします。
イタドリの新芽は紫紅色をしており、目を引きます。また、春の頃の若い茎は中空で太く、柔らかいうえに水分が多いので、皮をむいて食べると酸味があっておいしいものです。最近、山菜として料理に使う為か、イタドリ採りがちょっとした流行になっていると聞きました。口に含んで吸ってみると、少し青臭い感じの汁が口にひろがり、渇いた喉を潤してくれました。
いつものように二ツ鳥居の展望台で汗に濡れた下着を交換し、水分を補給していたとき、頭の上でカラカラカラという乾いた音がして、びっくりしました。展望台のあずまやの板屋根に何かが落ちて転がったようです。しばらくして、又同じような音が頭上でしました。いつもはそんな音がしないだけに、不審に思いましたが、何故なのか、その原因が掴めませんでした。三度目の音に周りを確かめてみると、まだ青いドングリの実がたくさん落ちていました。昨夜来の雨と時折の風のために、まだ実の青い内から落ちてくるようです。
それこそ、ドングリコロコロ、ドングリコという感じでした。これから秋にかけて町石道にはドングリの実がたくさん落ちて、心を和ませてくれることになります。
休憩後、再び歩き始めたとき、身体がフッと軽くなっているのを実感しました。汗を出し尽くし、新しい下着に着替えて、水分を補給したあと、風に吹かれながら休憩したことで身体がリフレッシュされて軽くなったのでしょう。
体の軽さに気分まで軽くなって、スキップをしたいような嬉しさがこみ上げてきました。 しばらく歩いていると、またしても上の方からカサカサという軽い音が聞こえ、直ぐ消えました。耳を澄ましていると、やがてまた聞こえます。今度はそれが何の音であるかが直ぐわかりました。
そうです。ドングリが木の葉に当たりながら落ちてくる音なのです。その音が楽しい気持ちを増幅してくれました。
これから晩秋にかけての町石道は紅葉や落ち葉に彩られ、歩く人の数が多くなります。
しかし、今日に限っては雨の後でもあり、しかも台風が近づいているということで、私以外は誰も歩いていませんでした。なんといっても、その日の朝になって状況判断できるのが地元の強みでしょう。
水分を多く含んだ空気中には、スギやヒノキの香りが含まれており、風に運ばれて肌をなでるとき鼻に届きます。舌を上顎につけるようにして、息を吸い込むとフィトンチッドに満ちた水蒸気が肺の隅々まで行き渡るように感じられました。
雨上がりの後には必ず艶やかな色合いのキノコが道端に生えています。水分を吸って一日の内にニョキニョキと大きくなったようで、競うように生えているのが印象的です。勿論季節によって種類も違いますが、真っ白で棘のついたものや黄色い蒸かしパンのようなもの、赤っぽく飴色に光っているものなど様々です。中には傘の部分がベトベトしていて、いかにもグロテスクなものもあり、雨上がり特有の感じがしました。
それとは対照的に、日当たりの良いところに来てフユイチゴ(冬苺)の花が小さな白い花を咲かせているのを見つけました。他のイチゴは春に花を付け、初夏には実に姿を変えるのですが、フユイチゴはこれから花を咲かせ、十一月頃実を付けるのです。
注意してみていると町石道にはフユイチゴの生えているポイントが結構あります。実は食べられるので、おいしさを伴った冬の楽しみとなります。
先週工事中だった道は完全に補修されていました。
いま、熊野、高野の信仰の道は世界遺産登録に向けて、そのPR活動を積極的に行っています。その関係もあってか、道の整備も各所で行われ、ツユの頃の大雨で崩れたところも全て補修を完了し、前よりずっとりっぱになりました。
世界遺産に登録されると、いまよりずっと多くの人が、それも世界中からこの道を訪れることになるのでしょうか。
山道を一人で歩くのが好きな私にとっては複雑な気持ちにさせられます。というのも、今日も百七十三町石とススキ、七十八町石とハギを重ね撮りするのを楽しみにして来たのですが、そこに辿り着いてみると、ススキもハギもきれいに刈り取られていました。世界遺産登録の視察のために町石が見付けやすいようにと、周りの草を刈ったからです。
とくに仲秋の名月の日、満月をバックに百七十三町石にススキを配し、写真に収めようともくろんでいたのですが、この計画はあえなく没となりました。
しかし、これもあくまで自分勝手な想いなのでしょうね。今の内に一人でせっせと歩いて健康と知識を詰め込んでおき、この道を案内して歩けるようになろうと思い直しました。
六十町石が近づき、矢立茶屋の焼き餅がちらつきだした頃、ふと足もとを見ると、町石道にクズの花びらが散らばっているのに気づきました。上を見上げると、垂れ下がったツルの大きな葉っぱの蔭に花房がぶら下がって咲いており、それがこぼれて道に彩りを与えてくれているのでした。
道端にあるクズの花は葉っぱに隠されて目立ちにくいのですが、上からぶら下がってくるツルに付いた花はよく見え、蝶が羽根を広げたような葉っぱの付け根にしっかりくっついていました。
花房の付け根から、花びらを落としながら咲き上がっていくクズの花は今が見頃のようです。
この付近からは高野山道路を見下ろすことが出来ます。土曜日ということもあって、山頂へ向かう車の列が確認できました。
町石道は高野山道路と二度交差することとなります。
六十町石と四十町石に挟まれた二十町がその区間となり、その間には袈裟掛石や押上石など弘法大師ゆかりの石があったり、杉の大木があったりして、これまでとは少し趣が違ってきます。
冬になると、ここから上が吹雪くようになり、雪の被った町石の姿を写真に撮るのを今から楽しみにしています。
この間にある五十三町石は、町石の丸い部分が面長で、下輪に彫られた字も小さく華奢な筆跡で刻まれていて、他の石とは雰囲気が違って感じられます。この裏面を見ると昭和三十五年に再建されたということが確認されます。つまり、百八十の町石中でもっとも新しい石ということになります。この石の隣を山から湧き出た細い渓流が小さな音を立てて流れており、周りはシダや雑草で囲まれています。
四十九町石付近まで来たとき、初夏の頃、この辺りにマタタビの花が咲いていたのを思い出しました。葉っぱの表を白く染めて、梅に似た清楚な花を付けていたのが印象に残っていたのです。その辺りをよく見ると細長い実がぶら下っていました。
マタタビの実といえば、猫の大好物だそうです。持って帰って、それが本当かどうか試したいのですが、それでなくとも野良猫が家の周りをうろつくことで頭を悩ませている我が家なのですから、試すととんでもないことになりそうな気がして思いとどまりました。
もし、試したい方がおりましたらお申し付け下さい。私が持ってあがります。 その近くに、長い茎の先に大きな実をつけたウバユリがたっていました。ついこの間まで咲いていたものが、もう実を付けているなんて不思議な気がします。花から実までの期間は思ったより短いものだということを最近実感しています。 二十町を一区間として区切り、写真を撮りながら歩むと、約一時間かかります。百八十町を二十町石ずつ九つの区間に分け、一日九時間をかけて、カメラ片手にこの町石道を歩くのが今の私にとって何ものにも代え難い週末の楽しみとなっているわけです。
今は季節毎の町石道を写真に収めていますが、それを二十町毎にまとめ、歩く順に表現し直せたらいいなあ、とも考えています。
いつもながら、歩くたびに新しい発見があります。
今日も二十七町石を越え、鳴子川に至る手前の木橋にさしかかったとき、橋の柵からはみ出るように一輪の花が咲いているのを見付けました。
花の咲いた感じがホタルブクロに似ているのですが、ツル性の植物で様子がまるで違います。未だにその名前が分かりませんが、かわいい釣り鐘型の花びらが印象的でした。
とりあえずは写真に収めておき、植物図鑑を繰っているとヒョッコリ名前が分かるときがよくあります。去年、ここを歩いたときには気が付かず見過ごしたのでしょう。
一見、同じように見える道にも必ず先週とは違う、また去年とは違うものがあり、それをカメラに収めて保存するのがおもしろく、それがまた次の週の励みにもなっているのです。
今度の週末も晴れてくれますように。
笹田義美先生のプロフィール
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世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
- 著者
- 笹田 義美
- 定価
- 2,800円(税込)
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