立冬の頃 紅葉の町石道に出会いを重ねながら
立冬(十一月七日頃)
はじめて冬の気配が感じられる日。冬立つ日。日は短くなり時雨が降る季節。北国や高山から初雪の知らせが届き、関東では空っ風が吹く頃です。
暦の上から冬の到来が告げられたとは言え、町石道は今、晩秋の盛りを迎えています。
九度山の里では柿の収穫も終え、残された葉だけが役目を終えた感じで赤みを帯びて垂れ下がっていました。霜が当たると急に色合いを濃くし、まもなく一斉に落ちてしまい、その後には、枝々が空の空間を鋭角的に刻むことになります。
柿畑に混じって植えられたミカンも黄色く完熟し、収穫を今や遅しと待ちかまえていました。畑の中を通っている町石道には、手を伸ばせば取れる位置に、いかにもおいしそうに実っています。汗をかき、のどが渇いている目の前にぶら下がったミカンが私を誘惑します。
そんな自分と闘いながら登って行くと、百六十三町石手前の道端に無人のミカン売場があり、百円を投じて買うことができます。間違っても盗って食べることのないように。お大師様が見ていますよ。
買ったミカンを頬張りながらしばらく行くと、木の幹に巻き付いたカラスウリの実も黄色く熟れて秋を届けてくれていました。夏の暑い夜、夜中に友と連れだって、この花の写真を撮りに来たことが昨日のように思い出されます。
町石道では、モミジやカエデの紅葉を目にすることは少ないながら、それに代わるようにツタ類が紅葉し、目を楽しませてくれています。
隙間なく絡み付いたツタの葉をまとった木々が、日の当たり具合によって微妙な色合いの違いを見せながら、その艶やかさを競うかのように立ち並んでいました。
また、黄色くハート型に色づいたヤマイモの葉を巻いた木の幹は、高価なネックレスを見せびらかしているかのように見えました。
枯れ落ちる前の一瞬の輝きには心に訴えてくるものがあり、澄んだ空気と穏やかな陽光の中で、日本の秋が持つ郷愁を味わいながら山道を辿る贅沢は何ものにも代えられません。
光の通らないスギの植林を抜け、道が雑木林にさしかかると、秋が降りかかるように迫ってきます。
夏には緑一色だった林が全体的に黄色みを帯び、それが朱色に至るまでのグラデーションが眼前に開けると心がほどけ、幸せ感が広がってきます。
特に、逆光に透けて見える紅葉の色合いには胸に染み込むような輝きがあります。
そんな中に立つ町石はどこか暖かげで、七百数十回の秋を染み込ませた歴史の香りが石から漂ってくるようです。町石の真下から見上げると、秋空の中に浮き上がる錦色が見事でした。
天野の展望台近くにある二ツ鳥居が紅葉した山桜をバックに建っている姿が印象的でした。何故か歴史のあるものと紅葉とはうまくマッチするようです。いつものように天野の里に下りていくと、降り口に苔の生えた古ぼけたわらぶき屋根の家があり、その近くには鈴なりの柿の木があって、いかにも田舎らしい秋を見せてくれていました。
そこに続く坂道を一人の腰の曲がった老婆が杖を突き、足元だけを見ながらゆっくり登ってきました。古いわらぶき屋根の家、色づいた実を枝いっぱいに垂らした柿の木などをあしらった天野の里に収まるおばあさんの姿がいかにも田舎の景色にピッタリしており、思わずシャッターを切っていました。
気持ちの中では、しっかりカメラをかまえて、角度を変えながら何枚も撮りたかったのですが、おばあさんに悪いような気がして出来ませんでした。それでも、さり気なく無断で二枚撮らせてもらいました。
おばあさんは、顔を上げることもなく、私の側を通り過ぎて行きました。うまく撮れていませんが、そのうちの一枚を掲載することをお許し下さい。
八十九町石付近では、早春の頃、黄色い花で染まったサンシュユの林が、晩秋の今は、紅葉に彩られていました。
そこを通り過ぎ、笠木峠にさしかかったとき、ピタッと足が止まりました。
紅葉につられて頭上に気を取られながら歩いていて、ふと目を足下に移したとき、枯れ草の中に紫色に光るものを見付けたからです。それはまるで宝石のようでした。
日溜まりにリンドウの花が一輪咲いていたのです。
よく見ると、隣に咲きかけた蕾とまだ堅い蕾が付いていました。店先で見かけるものとは違い、自然の中に咲く野生のリンドウには、凛とした涼やかな気高さが感じられました。
リンドウを漢字で書くと「竜胆」となりますが、竜の胆だなんて、その花のイメージから想像できません。何でも、根が薬用になり、苦味健胃剤として広く使われていて、薬草として昔から重用されているそうです。竜の肝のように苦いところから名付けられたらしく、この場合は「りゅうたん」と読むようです。
葉はササに似ており、別名ササリンドウと呼ばれています。そう言えば、源氏の紋がササリンドウでしたっけ。
その事は別にして、山道で見付けたリンドウの一輪は光を受けて瑠璃色に輝いていました。周りを見回しても他には咲いておらず、丁寧にシャッターを切りました。この一輪を見つけただけでも山道を登ってきた甲斐があったというものです。
リンドウ発見に気分を良くし、軽い足取りで町石道を歩みました。
百町石付近でハイキングの一団とすれ違いました。どうやら大門から降りてきたようです。町石の写真を撮る振りをして、その人たちの会話に耳を傾けました。
「ここで百町石か。思ったよりしんどくないな。」
「なに、これからだぜ。百二十四町石からのために体力を残しとけよ。」
話の内容からすると、どうやら古峠を下って上古沢駅へ出るようです。経験からしても、その峠道はきつく、私も一度降りたきりで次からはそのルートを避けています。頑張って下さい。
笠木峠を右に折れ、八十四町石に来たとき、いつも下から見上げているのとは違った角度で町石の写真を撮りたいと思い、斜面をはい上がりました。
上からのぞき込む格好でシャッターを切ろうとしたとき、遠くから鈴の音が聞こえてきました。山道を歩くとき、熊対策として腰に鈴を付けて歩く人もいますが、この道は参詣道でもあるためか、金剛杖にくくりつけて歩いているのをよく見かけます。斜面の上から通り過ぎるのを待ちかまえて写真に撮りました。
今日は無断で写真を撮る巡り合わせの日のようです。取り終えて、斜面を降りようとして思いとどまりました。突然上から降りると、その人をビックリさせそうですし、まかり間違えば、熊と勘違いされて杖で殴られそうにも思えたからです。息を殺して通り過ぎるのを待ちました。
いつもと違った感じの写真を取れたのにエネルギーを得、快調に秋の山道を進みました。
矢立に近づくと、道端でいつも待ち受けてくれている、かわいいお地蔵さんがあります。赤い帽子には「見守り地蔵」と書かれています。何時の頃からここに祀られているのか知りませんが、あどけない表情で旅の無事を祈ってくれており、通り過ぎるたびに気持ちを和ませてくれます。
高野山展望台から見える景色が視野の広い秋を伝えており、澄んだ空気の中、飯盛山の向こうに遠く大阪湾までが見渡せました。 この頃になると、展望台付近には大きなホオの葉がたくさん落ちています。葉の裏が白っぽくて、でっかいので、かたまって落ちていると存在感があります。「朴落ち葉」という言葉もあるくらいです。厳しい寒さで凍った朴落ち葉を踏みしめると、パリパリッという音が出るそうです。
ホオ落ち葉をアップに写真を撮っていると、後ろから人の気配がし、振り返るとお父さんに手を引かれた小学生が登ってきました。
その姿がいかにも暖かく感じられ、二人をやり過ごしてから後ろ姿をパチリ。秋の景色を撮ろうと計画してきたのですが、今日はどうも人との出会いが多いようです。天気も良く、絶好のハイキング日和に、いつもより人が多いということでしょうか。 展望台を過ぎた頃からササの葉が一段と多くなります。斜面に生い茂ったササの葉に雪が降り積もった景色は絵になります。雪が降るのを今から心待ちしています。
そんなことを思いながら歩いているとき、ササの茂みがピカッと光ったかと思うと、二台の単車が飛び出てきました。
こんな道で単車に出会うなんて予想外の事だっただけにビックリしました。本当に今日は思いがけない事によく出会います。
「すみません」という声とともに走り去っていきました。私の方もしっかり写真に撮らせてもらいました。
いつものように最後の登り道をあえぎながら大門へ辿り着き、六町石や三町石の後ろに紅葉が広がっている様子をカメラに収めました。
根本大塔にさしかかったとき、黄色い袈裟を身につけて隊列を組んだお坊さんの集団と出くわしました。いかにも高野山に来たという感じが伝わってきました。
お坊さんとの出会いで、どうやら今日のドラマは終焉を迎えたようです。
天野のおばあさん、ハイキングの一行、鈴を付けた登山者、手をつないだ親子連れ、マウンティンバイクの若者、お坊さんの列など筋書きのないドラマでした。
それに、紅葉の木々とリンドウの花に出会えたうれしさが加わって、満足の一日でした。
笹田義美先生のプロフィール
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世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
- 著者
- 笹田 義美
- 定価
- 2,800円(税込)
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