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ウォーキング随筆紀行高野山町石道「冬至の頃・小春日和に年の瀬を忘れて」

冬至の頃 小春日和に年の瀬を忘れて

冬至の頃 小春日和に年の瀬を忘れて

冬至(十二月二十二日頃)

この日は太陽が黄道の南端を通るので、北球では一年中で最も昼の短い日となり、寒気も厳しさを増す頃です。冬至南瓜や柚湯慣習が残る日でもあります。
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秋の名残も消え、寒さもすっかり定着したこの頃、街の店先やテレビの画面からジングルベルの曲が流れて、年の瀬特有の慌ただしさが迫ってきます。

そんな喧噪から逃れるように、気持ちが町石道を求めています。高野おろしの冷気がよどんだ気分を引き締めてくれることでしょう。

慈尊院横の階段を上り、丹生官省符神社につくと、そこには既に来年用の大型絵馬が設置されており、年越しを待ちかまえていました。

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仲冬の町石道を歩むとき、初冬の頃には、ふかふかした感触のする落ち葉道も、何回かの雨と道行く人に踏まれて地表に張り付き、地面の一部となって靴の裏に感じられました。 柿の葉も一つ残らず落ち、そのうえに霜が降りていました。見上げた柿の木にポツンと一つ残された実が一抹の侘びしさを感じさせますが、これは来年も実り豊かであれ、との祈りを込めて残しておくのだと聞いたことがあります。木守り(きまもり)の柿と言うのだそうです。また、小鳥のために冬の食料としてとってあるのだとも言われています。

冬の晴れた日、うすく白い雲をあしらった青空をバックにし、複雑に入り組んだ柿の枝にくるまれるようにして建つ町石にはどこか風格のようなものが漂っていました。

雑木林では、凛とした大気の中、裸になった木々が今までとは全然違った様相を呈しており、上方に向かってはい上がるように伸びる幹や枝々に、虚飾をかなぐり捨てた厳しさを感じます。

花崗岩で作られた二ツ鳥居を下から仰ぎ見ると一際雄大に見え、天空にそびえたつ姿には堂々とした威厳がありました。この鳥居は、四季それぞれに独特の味わいがあります。

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この季節になってやっと姿を見せてくれる町石もあります。小高いところで、木々の緑に覆われていたものが、冬になって葉っぱの衣を脱ぎすてるとき、その全容を現すのです。

応其池近くにある百十三町石は、そんな町石の一つです。西方の角度がひらけているのでこの石は夕日に照らし出されるのでしょうが、私が歩く時間帯には東側の山にさえぎられ、日が当たりません。一度、夕暮れ時にこのポイントを歩こうと思っています。 百十九町石から百十六町石に至る間は、道の左側が深く切りたっており、他所では見上げる角度にあるヒノキを、ここでは見下ろすような感じで、下から生い上がってくる木々を見ながら歩きます。

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そんな地形の中にあって、百十八町石と百十七町石の原石は、崖崩れに遭って破壊したか、押し流されて行方不明となったのでしょう。これらは大正期になって再建された卒塔婆です。もう少し詳しく言えば、空海が高野山を開創してから一一〇〇年目に当たる、大正二年の秋に再建されたものです。

この年、岡山県備中の「福田海」の人々が再建に奔走したと聞いています。「福田海」というのは、社会という田に善行の種を播き、福徳を生ずるという、いわゆる釈迦の福田思想を実践に移すべく、我が身をなげうってこの世に尽くした人々のことです。この献身的な行為無くして、この山中に百八十基もの町石卒塔婆がそろって現存することはなかったでしょう。

それが大正期に再建された町石であることは、その町数を示す書体が、楷書体で刻まれていることから容易く分かります。また、石の裏面を見ると、全てが「大正二年秋再建」となっており、再建者の住所と名字が刻まれています。中には原石建立者の名が、新しい寄進者の名に合わせて刻まれているものもあります。

この二つの町石以外にも、五町石、十一町石、二十二町石、二十四町石、四十四町石、六十三町石、七十町石、七十二町石、百三十一町石、百三十七町石、百三十八町石、百四十町石、百四十二町石、百五十町石、百五十四町石、百五十六町石、などが大正の再建石で、全部で十八基あります。

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百十一町石を右にカーブした地点に来て、眼前にひらけた光景に足が釘付けになりました。冬の太陽が低い位置から差し込み、それが杉の木の影を町石道に映していました。その影がバーコードのような平行線を描いており、何とも言えない雰囲気を醸し出していたのです。思いがけない光景のプレゼントにに気持ちが高ぶりました。

太陽が雲に隠されない内に撮らなければ、という気持ちにせき立てられながら、シャッターを切りました。

心ときめく被写体に出会ったときは何時もそうなのですが、はやる気持ちと、もどかしさが入り混じり、動揺を抑え切れません。未熟といえばそれまでなのですが、こんな気持ちを味わいたくて歩いているとも言えるのです。少しずつ角度を変えながら三、四枚撮ってやっと気持ちが落ちつきました。それから後は、このような光景に巡り会えた嬉しさを噛みしめながら、更に、もう五、六枚写すことになります。

太陽が雲に隠れ、トキメキの映像が消えたのを合図に歩きを続けました。

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岩屏風をバックにした百八町石と二里石のあるポイントを過ぎ、百七町石を曲がった途端、視界が急に開けて山の右斜面に明るい陽が直接射し込んでくる場所に出ます。小春日和の穏やかな陽気に、先ほどのトキメキの火照りが程良くブレンドされ、気持ちがほぐれて、すっかり年の瀬の慌ただしさを忘れてしまいました。

手ごろな場所に腰を下ろし、しばらくは日溜まりの中で時を過ごしました。

切り株が散在する枯れ草の斜面上方に立っている木々の並びが青空の白い雲の中に浮き上がっており、しばらく立ち止まって雲の流れを見ていると、今日歩いたことのうれしさがわき上がってきました。

春の木の芽時や秋の紅葉のときは勿論のことですが、今日のように、冬の晴れた日に町石道を歩くのも好きです。冷たい空気に包まれていた身体が、歩くほどにホカホカしてき、幸せ感が広がってくるにつれて、この一年の出来事すべてが良いこと、意味のあることであったように感じられてきました。

みなさんにも、この時期に歩くことをおすすめします。

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道が落ち葉で敷き詰められ、全体が冬枯れてくるにつれ、夏の頃には緑の中に紛れ込んでいた常緑の木や草が冬枯れた茶系統の下地の中に浮き上がって見えます。

常緑の木や草で、背の高いのはスギやヒノキ。中位の高さにはアセビ、シュロ、ササなどがあり、道端にはシャガ、シダの葉などが年中、町石道に緑を提供してくれています。

特に、枯れ草の中にあって、シダ(歯朶)の青さが目に付きます。中でも、季節がらウラジロ(裏白)と呼ばれるシダの葉が私の気を引きました。と言うのも、もうすぐ来る正月のお飾りとして、しめ縄に付けたり、二段重ねの鏡餅の上にのせ、その上に干し柿を置いたものが各家庭の床の間を飾るからです。

子どもの頃、これを取ってきて、お小遣いをもらったものでした。 なお、歯朶の「歯」は齢(よわい)に通じ、「朶」は枝すなわち長く伸びるものの意であることから、長寿長命を願うめでたい名であるとのことです。

シダには、葉の形からどこか原始的な生命力を感じさせるところがあります。

杉林の中を通る薄暗い道に一条の光が通り、スポットライトのように枯れシダにあたって輝いていました。それが魚の骨を連想させるような枯れたシダの葉っぱだった事と、とりわけ周りが暗かったことが相乗効果を発揮して不思議な輝きをしていました。

杉林の平行な影といい、シダの金色の輝きといい、いつもながら陽の光が様々な演出効果を見せてくれます。

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六十町石を過ぎ、高野山に近づくにつれて、杉の大木とササ(笹)の葉に覆われたところが多くなってきます。

四十九町石を過ぎてしばらく行くと、これまでには無かったような大きな杉の木が立っています。植林されたものとは全く違った雰囲気を持っており、空に枝をはった姿が立派で、人を寄せ付けない威厳があります。苔がついた太い根元は、何百年という年月の経過を物語っており、まるで山の精が宿っているかのようです。人は誰でも大きな木には特別な感慨を覚えるようです。

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十二町石のすぐ後ろには二本の大きな杉の木が立っています。真下からこの石にへばりつき、杉の木が上方高く伸びた姿と一緒に撮るのが好きで、ここを通るたびに同じ角度から撮ることになります。

十二町石といえば、この町石道を作るのを陣頭指揮した安達泰盛が寄進したものですが、北条時宗に寄り添って、時の鎌倉幕府を守り抜いた姿がこの二本の杉の木に象徴されているかのように私の目に映るのです。

また、ここから大門まで急な登り道となることもあって、この十二町石が気を引き締める合図ともなっています。

一方、ササの葉は、五十七町石手前の登り道や三十六町石から続く町石道の両側、二十四町石から二十三町石にかけての杉の林床など、各所に群れて生えています。

大門近くの最後の上り坂の右手にはクマザサ(隈笹)が茂っています。冬になると大振りな葉っぱの周辺が白っぽく枯れて隈になって、急にその存在感を増します。息せき切って登る最後のポイントにあるだけに印象深いものがあります。

今年もこれで登り納めとなります。

登るたびに新しい発見と出会いがありました。今年一年の思い出をかみしめるような、そして来年も登っておいでと誘ってくれているような一日でした。

四季の高野山町石道の動画を見る

笹田義美氏

笹田義美先生のプロフィール

  • 和歌山県に生まれる。
  • 和歌山大学教育学部卒業後、和歌山県立箕島高校、伊都高校、橋本高校の教諭に就く。
  • 和歌山県教育委員会学校教育課の指導主事に着任。
  • 和歌山県立橋本高校、紀北工業高校の教頭職に就く。
  • 「紀の川散歩道」を発刊
  • 和歌山県教育研修センター副所長に就く。
  • 伊都地方教育事務所長に就く。
  • 「四季の高野山町石道」を発刊。
  • 和歌山県立紀の川高校の校長に就く。
  • 和歌山県立紀の川高校の校長退職。
  • 現在に至る。

販売のご案内

世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
著者
笹田 義美
定価
2,800円(税込)
お問い合わせ
TEL. 073-435-5651