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読む 熊野古道・中辺路Ⅱ 第四話・近露王子~比曽原王子

読む 熊野古道・中辺路Ⅱ
第四話・近露王子~比曽原王子

熊野古道・中辺路Ⅱ-4

読む 熊野古道・中辺路Ⅱ

近露王子を後にして、比曽原(ひそはら)王子を目指します。距離で2.7キロメートル約50分のウォーキングです。しばらくは舗装された熊野古道を歩くことになります。左側にガソリンスタンド、その向かい側に近露王子のバス停があります。ここからバスに乗って滝尻王子に戻ったり、また本宮大社や湯峰(ゆのみね)温泉、渡瀬(わたらせ)温泉、川湯温泉に行かれるのも人気のウォーキングプランの一つです。左側に近露郵便局、銀行はなくても郵便局はあるのです。近露の人達の利用風景が眼に浮かびます。道なりに進んでいくと分岐点に出ます。右へは現在の国道、真っ直ぐに直進すれば順路ですが、太平記で有名になった野長瀬一族の墓地に立ち寄ることにしました。急な坂を登ると左側に案内板があります。太平記に登場する野長瀬一族は、1331年鎌倉幕府倒幕に立ち上がった王塔宮十津川から高野に逃れようとして幕府側の軍勢に道をはばまれた時に、野長瀬六郎と七郎の兄弟が援軍としてかけつけ、宮を助けたと伝えられています。後に宮がその忠誠に対して「横矢」の姓をおくったといいます。観音寺旧墓地には今も五輪塔が残されている野長瀬一族の墓地があります。「今から約700年前のこの地の人々の息吹が伝わってきました。」 元の分岐点に戻り、距離道標27から出発です。ここの道も舗装されています。楠山坂の登り口までこのような道が続きます。平安時代には、この道を法皇や都人、庶民に至るまで、蟻の熊野詣でと言われたようにこの坂を列をなして進んで行ったのでしょう。「この山の景色は、その当時と変わりないのだろう。」と思いながら今にもくずれそうな天気の中を歩いています。距離道標28が見えてきました。この道標を過ぎるとすぐに分岐点に出ます。矢印は細い道が熊野古道と案内してくれています。左側が近野小学校で、グランド一面に芝生がひかれています。細い道から、少し広い道へ舗装された道が続きます。茶の坂といわれるゆるやかな坂を登って行くと一里石のバス停が左側に見えてきました。しばらく歩いていくと赤紫の花、小葉の三つ葉ツツジです。色鮮やかな花に見入ってしまいました。まだまだ舗装された道を歩きます。分岐点に来ました。ここにも道標があり、道に迷うことはありません。ここを左に入ると、いよいよ土道の楠山坂の登り口へと進みます。この道標を右へ入ると楠山坂です。1840年にこの楠山坂を通った長沢伴雄は、「手枕松というあり。大なり枝ぶりよろしき松なり」と紹介していて、この坂に名物の手枕松があったといいますが、その松も今はありません。昔の人は、単調な坂を歩くのに松に名前をつけ道中の目印にしていたようです。道はウォーカーにやさしい土道が続きます。前方に距離道標29が見えてきました。まだまだゆるやかな上り坂が続きます。これが難所と言われた楠山坂です。分岐点に来ました。ここでも道案内板が整っていて道に迷う心配はありません。この道は、珍しく石が混じりますので、少し注意が必要です。次の分岐点に出ました。左に苔むしたお地蔵様、思わず手を合わせていました。この角を左にとり、しばらく舗装された道を歩んでいくと、距離道標30です。ところがこの辺りから天候が一変しました。雨が風が私の前に立ちはだかりました。カメラにも雨が容赦なく打ち付けます。この辺りで、私は人家の軒先をお借りして雨宿りをしました。少し小降りになったのを見計らって先に進みました。画面が雨粒で見ずらくなっていますがご容赦ください。道標31辺りはまた一段と雨が強くなってきました。あれっ?この辺りは雨が降っていません。風下で丁度山が防いでくれているようです。前方に比曽原王子が見えてきました。平安期の比曽原王子は楠や杉檜に覆われ荘厳な趣があったと言われていますが、今は王子跡を示す石碑がぽつんとあるだけです。次回は、継桜王子までの道を紹介します。

熊野古道・中辺路Ⅱ 地図のご案内

熊野古道・中辺路Ⅰ

大坂本王子から小広王子まで

大坂本王子→牛馬童子口→牛馬童子像→近露王子→比曽原王子→継桜王子→中川王子→小広王子

協力:社団法人 和歌山県観光連盟

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