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読む 坂本龍馬脱藩の道・梼原街道 第一話・太郎川公園~那須父子屋敷跡

読む 坂本龍馬脱藩の道・梼原街道
第一話・太郎川公園~那須父子屋敷跡

坂本龍馬脱藩の道・梼原街道-1

読む 坂本龍馬脱藩の道・梼原街道

梼原街道(ゆすはらかいどう)太郎川公園から国道197号線を横切って、竜馬脱藩の道へ・・・・・登っていくと、赤いサザンカに迎えられた。その美しさに「はっ」とさせられました。登りきると、旧の国道、梼原街道です。大きな石碑が眼に飛び込んできました。維新の道とあります。

那須俊平(なすしゅんぺい)信吾親子の屋敷跡へ向かいます。幕末当時の面影は道からうかがえません。しかしそこから見える山並みは、今も当時のままであると考えられます。当時坂本竜馬はどのように脱藩したのだろうか・・・・・

文久2年(1862年)3月24日、龍馬は高知城下の和霊神社(われいじんじゃ)の境内で、沢村惣乃丞(さわむらそうのじょう)とともに、脱藩の成功を祈願し、夕刻城下を出発したとつたえられている。二人は、佐川から朽木峠を越え、葉山、津野から梼原へ90キロメートルの距離を一昼夜で歩き、25日の夜に那須信吾の家に泊めてもらったことが伝えられています。今、竜馬の脱藩の道、梼原を歩いています。今は舗装された道、竜馬が歩いたときは、どうだったんだろうか・・・・ そんな思いをはせながら秋の紅葉、落ち葉の道をひたすら竜馬のように、那須信吾の家跡を目指して歩きます。ただひたすらに歩きます。竜馬の時代はこんな歩きやすい道ではなかったはず・・・木々からもれる輝きに、ほほをなでる風に、落ち葉の踏む足音に、竜馬に思いをはせ歩きます。

木立の中を歩いていると、那須俊平(なすしゅんぺい)信吾親子お墓という標識に出会いました。少しわかりづらいですが、この標識の上側にお墓がありました。そこを後にして、歩くとすぐに那須俊平(なすしゅんぺい)信吾親子の屋敷跡という標識に出会いました。今度は下に降りてゆきます。するとひらけた平地が眼にはいってきました。ここが那須俊平(なすしゅんぺい)信吾親子の屋敷跡です。玄関から家に上がるように、その跡地へ踏み込んでいきます。信吾と竜馬の会話が聞こえるような空間です。その屋敷から見える梼原の風景、山並みは今も竜馬のその時と変わらないのではないだろうか・・・・・