寒露の頃 高野古道にホウキの花咲いて
寒露(十月八日頃)
露が寒冷の気にあって凍る手前にあるといわれる頃で、菊の花が咲き始め、山の木々の葉は紅葉の準備に入ります。稲刈りもそろそろ終わる時期となります。
十月に入ると、めっきり朝夕の冷え込みが身にしみて、秋本番の到来が実感されます。
九度山や山崎の里山には柿の実が熟れて、採り入れの時期が近づいてきました。まずは平種柿から採り入れられ、続いて富有柿へと移っていきます。平種はアルコールと合わせ、渋を抜いて甘みを出します。私にとっては柿と石を合わせる楽しい時期となります。石というのはもちろん五輪の町石卒塔婆であり、柿の木に黄色く熟れた実をあしらい、二つを合わせ撮りする頃なのです。
百七十八町石、百七十七町石、百六十八町石、百六十七町石、百六十六町石、百六十五町石、百六十四町石、百六十三町石、百六十一町石、百六十町石、百五十八町石の十一の町石が柿畑にあります。
秋も深まるにつれ、茶色く変色したドングリがビッシリと敷き詰められたように落ちている場所がありました。百五十九町石のある暗い杉の植林を越え、しばらく行くと足の裏にころころした感触を覚え、立ち止まって足下を見ると、そこにはいっぱい褐色のドングリが落ちていました。小さい頃、神社や校庭などで拾ったドングリをはじき合って遊んだ思い出はありますが、こんなに隙間無く落ちたドングリを見るなどというのは、山道を歩くことで、はじめて経験できることです。
それは、一つずつ拾うというよりは、手ですくうという表現の方がぴったりします。見上げると背の高いカシの木があり、そこから降ってきて敷き詰められたのでした。
ドングリを見ると本能的に拾いたくなり、ポケットに入れて持ち帰ることが多く、捨て切れずに、家の机の中に溜まっていきます。
しかし、今度ばかりは拾い切れません。この様子を何とか写真の収めたく、地面にカメラをへばりつけて撮ってみました。
ドングリに気分が明るくなって、歩みを続けました。
今頃になると、町石道のいたる所にノギク(野菊)が咲いています。
野菊にはリュウノウギク、シラヤマギク、ヨメナ、ノコンギク、ゴマナなど種類もたくさんあります。今の私にはその違いが直ぐには判りません。、ここではそれらを総称して野菊で通したいと思います。
菊は秋の花の代表です。ゴージャスな菊花展が各地で開かれていますが、そんな豪華な雰囲気はなくとも、山道で素朴に咲く野菊もそれに劣らず秋をさわやかに伝えてくれます。 道端に咲く野菊を真上から撮ったり、横から撮ったり、町石にあしらって下から撮ったりと、いろんなバリエーションを楽しみながらカメラに収めました。
撮るほどに秋が身に染み込んでくるようです。野菊のおかげで山道を歩くのに疲れを感じることなく楽しめます。
百三十八町石付近に来て、背中に薪のようなものを背負った人とすれ違いました。
同じ長さに切りそろえ、束ねられた枝には緑の葉が付いているところから柴を切り出したものではなさそうです。大体、今時、山に柴刈りにくる人なんていないし、何なのでしょうか。
こんなとき、聞かずにはおれない私の性格が、山の中でのインタビューとなりました。
「その背負っているのは何の木ですか」
すれ違いざまに質問してみました。
「びしゃこ」
「はっ?」
思いがけない応えに、聞き返すと
「仏さんに供える木や。この辺では杉の根元あたりに自然に生えてるんや」 「びしゃこ」という語感がいかにも関西風で、ユーモラスです。
びしゃこ、びしゃこ・・・・・。忘れないように頭に入れて、帰ってから本で調べたのですが名前は載っていませんでした。しかたなく、インターネットを使って「びしゃこ」で検索すると、確かに幾つもかかってきました。
やはり関西特有の呼び方で、正式名は「ヒサカキ」のようです。
妻に聞いてみると、スーパーでも時折、仏木として「びしゃこ」の名で売られているとか。知らぬは己ばかりなり、ということでした。
その気になってみると、たくさん生えています。かなり繁殖力のある常緑樹のようです。
この時期、野菊の他に私が写真に撮ろうとねらっている花があります。コウヤホウキとミゾソバの花です。
高野という名を持つ植物としてはコウヤマキ(高野槇)がその代表で、誰もが知っていますが、このコウヤホウキ(高野箒)を知る人は案外少ないようです。
細い枝先にハケのような白色の頭花を付けます。やや日当たりのよいところに生えていますが、背が低く枝が細くて、小さめの丸い葉に地味な花を付けます。注意してみると町石道の各所に生えているのですが見逃されがちです。
高野山では、細く枝分かれしたこの木を束ねて箒にしたところからこの名が付けられたということです。高野山を清めている木だと知ってからありがたい感じがしたものです。
しかし、実際にこの枝をどのように束ね、どんな箒になるのか、また、その掃き心地はどんなものなのでしょうか、実際に手にしたいものです。 冬になって葉が落ちた後もドライフラワーのようになって枝にこびりついているのを見かけます。
今日は百十一町石の足下に咲くコウヤホウキの花を撮ることが出来ました。
みなさん、ミゾソバ(溝蕎麦)の花をご存じですか。
溝という名が付くことから、水気の多いところに咲きます。また、その咲いている様が蕎麦の花に似ていることが名の由来です。
町石道で水気のある日当たりのよいところと言えば、百六十九町石付近と八十七町石付近です。そして、まさにこの場所にミゾソバが群れて咲くのです。
その花は一つが直径三ミリほどの小花で茎の先に十数個集まって頭状につきます。色は薄いピンク色をしており、見るほどにコンペイトウのようで可愛い形をしています。
別名をウシノヒタイといい、かけ離れたイメージの名が付いています。これは葉っぱの形が牛の額に似ていることから名付けられたとか。それを知って葉っぱを観察してみると、なるほどその感じが出ています。
明るい日差しの中で蜜蜂の羽音があちこちから聞こえてきます。蜂にとっては、きっとコンペイ糖のような甘い味がするのでしょうね。蝶もこの花を好んで寄ってきます。
秋の花は山頂から麓に咲き下がってきます。来週くらいには百六十九町石付近で再び私の目を楽しませてくれることでしょう。
紅葉にはまだ早く、全体的に緑が主役を占めていますが、ほのかに黄色がかった葉にあたる光が穏やかで、木立を抜けてくる風が山歩きをうながしてくれます。
真夏の頃は汗に悩まされながら写真を撮るのが精一杯で、町石に刻まれた漢字の書体にまで気がまわらなかったのですが、秋風が吹き、歩きに余裕が生まれるにつけて、その書体の違いが目にとまり、調べてみることにしました。
素人目にも、大きく分けて三通りの書体があります。
百六十九町石や八十六町石のように、いかにも力強く、彫りの深い書体のものがあり、これが七百年前に掘られたものかと疑うほどはっきり読みとれます。世尊寺流とよばれる一世を風靡した書体だそうです。そのうち文永町石文字を書いたのは、第八代行能、第九代経朝の親子といわれています。流れるようなくずし方の書体が親の行能で、かなめの位置の町石に刻まれ、力ある書勢の方が息子の経朝の書体であると推測されます。
なお、梵字の書体は、小川真範大僧正の書と言われています。 そして、大正再建石はすべて楷書体で刻まれています。
大門が近づくころ、ミカエリソウの大群落がピンクのブラシのような花を付けて待ちかまえてくれていました。。昨年、はじめて目にしたときはその多さにビックリしました。そのときはカメラを持ち合わせておらず悔しい思いをしたのを覚えています。一年越しのシャッターチャンスです。
いつもは、この最後の上りがきつくてゼイゼイいうのですが、今日はミカエリソウが迎えてくれたこともあって、写真を撮ることで疲れが分散してしまい、息切れを感じずに大門にまでいたりました。
いつも町石道を歩くとき、町石に刻まれた町数が減っていくことに力づけられながら歩くことがよくあります。とりあえず次の石まで頑張ろう、ということを繰り返すうちに、いつしか目標のところまで来ているということが多くありました。どこか人生の歩み方を示唆しているような気がしています。
笹田義美先生のプロフィール
販売のご案内
世界遺産登録への道「四季の高野山町石道」
- 著者
- 笹田 義美
- 定価
- 2,800円(税込)
- お問い合わせ
- TEL. 073-435-5651