読む 熊野古道・中辺路Ⅱ
第五話・近露王子~比曽原王子
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比曽原(ひそはら)王子を後にして、継桜王子を目指します。距離で1.2キロメートル約20分のウォーキングです。しばらくは舗装された熊野古道を歩くことになります。この道は元の国道で、車もめったに通りません。と言ったとたんに2台通りました。しかしこんなことはまれです。前方に分岐点です。距離道しるべ32です。この地点が滝尻王子から16キロメートルの地点です。ここを左に上っていきます。空が一段と泣き出しそうになってきました。それとともに、私も泣き出しそうです。実際のところ、いつ撮影を中止にしようかと考えながら歩いている状態です。レンズにも容赦なく雨が打ち付けます。「へぇデイケアサービスの車だ」すごいの一言です。この道も舗装されているから車も入ってこれるのです。この道は、昔からいろんな人が歩いています。承元(しょうげん)四年1210年には、後鳥羽院の後宮修明門院(のちのみやしゅうめいもんいん)の一行は、近露の日置川でみそぎをすませ近露王子に参ったあと 「つぎ比曽原、継桜、中川王子などに巡拝しながら熊野本宮大社を目指した」と記録に残っています。平安時代には、この道を法皇や都人(みやこびと)、庶民にいたるまで、列をなして進んで行ったのでしょう。舗装された平坦な道が、しばらく続きます。前方に距離道しるべ33が見えてきました。画面に雨粒が目立ちますが、ご容赦ください。人家が左手にありますので、このへんで、軒下をお借りして、雨宿りしょうかどうか迷いましたが、前進です。平安時代には、人家もあろうはずがなくて、雨宿りしようもなかったはず。平安人(へいあんびと)の心持ちで継桜王子を目指します。前方に野中の伝馬所跡が見えてきました。伝馬所は、紀州藩が熊野街道に設けた役所で、公用の文書や荷物を輸送していました。ここまでくれば継桜王子はすぐそこです。前方に茅葺の家が見えてきました。とがの木茶屋です。その手前左側に継桜王子があります。鳥居の奥に見えるのが野中の一方杉です。この一方杉には、歴史的なエピソードが残っています。継桜王子は若一王子権現として野中の氏神となっていて、明治四十二年、近野神社に合祀され、この一方杉は伐採の危機にありまして、この時、南方熊楠が、伐採反対の声をあげたのです。有名な「南方二書」の一つ、松村東大教授にあてた書簡には「これらの木を伐らんがために、九十九王子中もっとも名高き野中と近露王子を、何の由緒も樹木もなき禿山へ新社(しんやしろ)を作り移し、さて件(くだん)の木を伐らんと言いくる。これを抗議せしに、村長なるもの、しからば下木(したき)を伐らしてくれという。小生いわく、下木を伐れば腐葉土もなくなるゆえ、つまり老大木を枯らす、下木は断じて伐るを禁ずべしと」 松村教授に保存のための働きかけをお願いしています。県知事川村竹治(たけはる)にあてた書簡は、エコロジーの視点を説いて保護を要請しています。植物生態学からの自然保護の主張は、これが最初のものです。これによって一方杉は、伐採をまぬがれて現在に残っています。次回は、とがの木茶屋から野中の清水、秀平桜を経て中川王子までの道を紹介します。
熊野古道・中辺路Ⅱ 地図のご案内
大坂本王子から小広王子まで
大坂本王子→牛馬童子口→牛馬童子像→近露王子→比曽原王子→継桜王子→中川王子→小広王子
協力:社団法人 和歌山県観光連盟
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