読む 鎌倉街道・朝夷奈切通
第五話・小切通~庚申塚~朝比奈バス停
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小切通を後にして庚申塚をへて朝夷奈バス停へ向かいます。この小切通は、高さ約16メートルほどで、垂直に切り落とされています。鎌倉当初は、9メートルぐらいで、その後7メートル掘り下げられて現在の小切通になったということです。なるほどなるほど勾配をゆるやかにしたということですね。ここからは、道はゆるやかな下りの土道です。この道には、いくつかの歴史的エピソードが残されています。その一つ、鎌倉末期元弘3年1333年、新田義貞(にったよしさだ)の鎌倉攻めをご紹介しましょう。鎌倉幕府を打倒しようと兵を挙げた新田義貞は、千葉貞胤(さだたね)などと鎌倉を目指しましたが、この時幕府軍の金沢貞将(さだまさ)は、鎌倉を出発、両軍は武蔵国鶴見で戦い、幕府軍が破れ、このとき幕府軍は、六浦からこの朝夷奈切通をとおり逃げもどったと考えられています。この後、新田軍は、化粧坂(けはいざか)、巨福呂坂、極楽寺坂から鎌倉に攻め入ったと伝えられています。当時はやはり鎌倉七口切通しから鎌倉に入ったということです。歴史は鎌倉から南北朝時代へと動いていたのです。歴史のお話をご紹介していると、前方に木立のトンネルが現れました。進んでいくと自動車の走行音が空から降ってきました。ちょうど朝夷奈切通の道の上を、横浜横須賀道路が通っているのです。そして、コンクリートの高架橋が、歴史の道に覆いかぶさっています。ここが、古い道と新しい道の交差するポイントです。古い道が新しい道を支えているように見えました。「(自慢げに)どんなもんだい」と朝夷奈切通の道が静かに言っているように思えました。ここにも、切通の岩盤の道が残っています。しばらく進むと前方に人家が現れました。その左手に朝夷奈切通の庚申塚があります。ここが、鎌倉側からの終着点であり、横浜金沢側からの出発地点ということです。今この庚申塚は、この新しい道を見守っていてくれているようです。庚申塚を後にして進むと横浜市金沢地区の生活道路に入って生きます。左側には案内板が設けられています。ここからは、舗装された道で、朝夷奈バス停を目指します。前方にバス路線が走る大きな道が見えてきました。左右の人家の間を進んでいくと県道23号原宿六浦線にでます。ここを左に曲がると朝夷奈バス停はすぐそこです。朝夷奈切通は、バスでのアクセスが非常に整っている自然と歴史と日本の心が感じられる素晴らしい歴史の道です。是非一度ウォーキングされてはいかがでしょうか。ウォーカーステーションTV推薦の歴史街道です。